『秘録・日韓1兆円資金』 小倉和夫 2013/01
著者は駐韓国大使などを歴任。立命館大学客員教授。 全斗煥政権との外交交渉の舞台裏を記す本。
81年の4月、駐韓国大使だった須之部は韓国の外務部長官から、年間20億ドル、5年間で100億ドルの資金提供を求められる。当時韓国は国防費が国家予算の35%だった。対北の国防は日本のためでもあるのだから、支援すべきとの論調だった。
韓国の全斗煥政権は、79年の朴正煕暗殺事件を受けて誕生した軍事政権。光州事件や金大中裁判など、国内は不安定。日本国内には軍事政権への支援に積極的ではなかった。
巨額の要請にも関わらず、韓国の五ヵ年計画には日本からの資金は予定されていなかった。この対日経済協力要請は安保問題を中心とする政治色の強いもので、韓国政府内でも、その経済効果や意味について十分な検討を経たものではなかった。
7月下旬、1.3兆円60億ドルの経済協力要請として日本の新聞が報道する。全体の額を先行して決めようとする韓国と、具体的プロジェクトの積み上げで額を決めようとする日本側で対立していた。日本は軍事支援の意味合いでの資金提供はできなかった。
82年4月末。6年で円借款13億ドル、残りは銀行融資で総額40億ドル金利6%という案を、日本の特使が韓国外相らに密かに提示する。しかし反応は「この程度では国内が爆発する」というものだった。
しかし6月に韓国の外務部長官が交代し、新長官の李は総額40億ドルで円借款部分を増やそうという条件交渉へと変わる。
日本では82年1月から中曽根が首相になっていた。83年1月、中曽根は韓国を電撃訪問。7年間で40億ドルの資金協力としてまとめあげた。
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