葉室麟さん著『蛍草』(双葉社刊)を読みました。
舞台は、5万2千石の小藩・鏑木藩。
その百五十石取りの風早家に、16歳の娘・菜々さんが女中奉公を始めたところから
物語は始まります。
菜々さんは、郊外の山で育った庄屋の家の姪御さんですが、両親は既に亡くなり
人の紹介を得て、単身ご城下へ、住み込みの女中奉公に出たわけですが
実は亡き父の安坂長七郎は普請方藩士で、しかも陰謀により切腹させられ家は取り潰し
それを恨んだ母により、御家再興や仇とされる轟平九郎のことを再三吹き込まれるも
女性の身で仇討など不可能だと、その辺の事情を秘めたまま暮らしています。
奉公先の風早家は、主の市之進さんが25歳の若さながら将来を嘱望される勘定方の俊英で
奥方の佐知さんも、美しく賢く優しく愛情豊かな女性で、2人の幼い子供たちも可愛い。
そこに家族の如く迎えられ、あたたかい家風に触れて、この一家のために頑張りたいと決意。
佐知さんを理想の女性として慕い、また、優しい市之進さんに密かな憧れを抱きます。
そもそも菜々さんが奉公を決めたのは、両親亡きあと面倒をみてくれた叔父一家のうち
伯母に嫌われていたのと、その息子・宋太郎さんとの婚姻を避けるため、
そして、城下であれば仇・平九郎の情報も入手できるかもしれないと考えたためですが
仇討に関しては、菜々さんが出自を隠しているため事情を知らないはずの佐知さんから
「女性は命を守るものだ」と諭され、思いなおした矢先、なんと当の平九郎が風早家を訪れます。
この轟平九郎氏、蛇の如く狡猾な人物らしく、しかも藩内でも1,2を争う剣の腕前。
その上厄介なことに、清廉で若手有望筆頭の市之進さんとは敵対関係にある模様。
仇当人を目の当たりにして圧倒されるも、かつて行き倒れのところを救った事のある
藩の剣術指南役・壇浦五兵衛さんに、貸しの礼として剣術を指導してもらえるよう交渉します。
菜々さんは武術は素人ながら、実は一見しただけで動きを模写できる能力を持っており
五兵衛さんからは、武術とともに、藩内の事情をひそかに教えてもらうことになります。
この武術のおかげで、狂犬に襲われた風早家の子たちを救うことができたのですが
その際、子をかばった佐知さんが、元々得ていた労咳をこじらせてしまい、
愛する家族を、妹のように可愛がっていた菜々さんに託し、若くして亡くなります。
風早家には、藩内の不正を嫌い将来を憂う改革派の若者が多数集まるため
平九郎を含む利権のある保守派から目をつけられていますが、そんな中
菜々さんの父も、かつて不正を暴こうとして陰謀に巻き込まれ殺害されたフシが判明し
今また同じ平九郎により市之進さんが危険に晒されていることを知るも、諸々後手になって
結局、市之進さんは反対派の手により投獄、その後遠地に流されてしまいます。
佐知さん亡き後も、女中として風早家を支えていた菜々さんですが、
投獄前にそれと察した市之進さんから、亡き妻の遺言として、菜々さんを後添えにという提案が
されるものの、2人の愛の深さを知っていて佐知さん以外の奥様を考えられない菜々さんは
女中のままでいることを伝えますが、本心では慕っているので、そのあたりが微妙な乙女心かと。
ともあれ、屋敷は閉門、主は遠くに追いやられ、住む家もない風早家の子供たちを抱え
彼らを守ると決めた菜々さんは実にたくましく、その行動力たるや目を見張るものがあります。
所持金が少ないながら、質屋の女主・お舟さんと交渉して家を借り、叔父親子の助けで
野菜を売り歩くことで家計を助け、長男には自分の代わりに五兵衛さんの剣道場へ通わせ、
隣家に住む儒学者・節斎先生の寺子屋で、子供たちに学問をさせるのですが
菜々さんの心意気に感化され、お舟さんや節斎先生、そして地元のやくざな権蔵親分さえもが
次第に助力を惜しまないようになっていく過程が、なんとも微笑ましい。
藩主の帰還に伴い開催されることとなった御前試合で、仇討を果たそうとする菜々さんの提案に
当初反対する面々が、最終的には皆一丸となって協力してくれるのも痛快です。
どう考えても不利な御前での真剣勝負で、菜々さんは猛者である平九郎に勝てるのか
市之進さんの冤罪が晴れ、家族のもとに帰ってくることができるのか
そして、菜々さんの行く末は、市之進さんへの想いは・・・・・・
全体的に、ちょっと出来過ぎな展開ではありますが、それもいっそ心地よいほど
物語は見事な大団円を迎えます。
登場人物はクセ者揃いですが、誰もが「いいヤツ」で、爽快。
何より、菜々さんが元気で前向き、読んでいるこちらがパワーをもらえそうな感じで楽しい。
終盤、五兵衛さんの
「自分を大切に思わぬ者は、ひとも大切にできはせぬ。まずは精一杯自分を大切にすることだ
・・・(中略)・・・いま手にしている自分の幸せを決して手放してはいかん。・・・(後略)・・・」
という台詞が印象的でした。
遣い古されている言葉かもしれませんが、言われる場面によってはやはりグッときます。
”今手にしている幸せ”って、意外に気付いていない可能性が高そうですが。
葉室さんの作品の、一つの傾向かと思いますが、この作品も、家族の愛情が主軸になっていて
なんとも読後感のよい一冊となっています。
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