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「イシューからはじめよ」とサラリーマン

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安宅和人さんの「イシューからはじめよ」がブクログのフリー投票部門を受賞されたそうです。 要は、ブクログユーザーが「昨年読んだ本の中で一番薦めたい本」だそうで、同部門受賞作10冊のなかで唯一のビジネス書とのことです。 おめでとうございます。 第4回ブクログ大賞 私もこの本のファンの一人で、座右の書としていつも傍に置いていたので、今回の受賞をとても嬉しく思っています。 この本が「ちょっと一味ちがう」のは、 生産性の向上においては 「どうこなすか(解の質)」に優先して、 「一体どれが重要な問題(=イシュー)か」を見極めることの重要性を説いたところにあります。 問題解決者の生産性を「解の質」と「イシュー度」の二軸に分解したところに、この本のバリューがあるわけです。 (個人的には、「5分考えたら答えを探しに行け」や、アウトプット設計の手順を体系化したところに、この本の真の価値があるように思うのですが、これは置いといて) この本は、どのページを開いても著者のスマートさが伺える素晴らしい本です。 自分の生産性向上に関心を持つ人全てに、心の底からお薦めします。
イシューからはじめよ [ 安宅和人 ]

ところで、実は、「イシューからはじめよ」では、アウトプット設計を考える上で非常に重要なポイントが省略されています。 このポイントについて述べたいと思います。 安宅さんに従えば、「アウトプット」は「解の質」と「イシュー度」の掛け算からなります。 本の中では、「解くべきイシューを選ぶ」ことは、即ち「プロジェクトを選ぶ」ことでした。 我々は時間あたりの生産性を高めるべきで、取り掛かるタスクは慎重に選ぶべきだと。 安宅さんは、さして重要性の高くないタスクを数多くこなすことで自らの価値を示そうとするやり方に「犬の道」という名前を与え、厳しく断じています。 ここで唐突ですが、「アウトプット」を大きく「人生」と捉えなおしてみましょう。 人生 = 解の質 x イシュー度 「解の質」は、どの程度努力して、どの程度(ゴールに対して)成功するかを指し、 「イシュー度」は、(まんまですが)人生における優先順位とみなすことが出来そうです。 さて、「アウトプット」において「イシュー度」は非常に重要なので、ここで人生における優先順位を考えてみましょう。 ちょっと時間をとって考えてみてください。 ・・・出来ましたか? では、ここでひとつ質問です。 「その優先順位は、一体だれのための順位ですか?」 答えは決まりきっています。 「あなた自身のため」です。 では、今度は話を「イシューから始めよ」でいうところの「アウトプット」に戻すとどうでしょう。 またお聞きしたいと思います。 「そのイシュー度は、一体だれのための重要度ですか?」 これまた、答えは分かり切っています。 「あなたの職場の利益のため」です。 ・・・私の言いたいことが伝わったでしょうか。(かなり、自信がありません) つまり、「イシューからはじめよ」で省略されているポイントとは、 「そのイシューはだれのものか」という視点なのです。 「イシューからはじめよ」では、「そのイシューは、だれのために解決すべきか」という視点には一切触れていません。 イシュー度は価値観によって容易に変化して然りなのにも関わらず、この本ではこの点について全く述べられていないのです。 それは何故かというと、「イシューからはじめよ」が、サラリーマンのためのバイブルだからです。 サラリーマンにとって、アウトプットの価値とは、企業の利益への貢献度に決まり切っています。 変わることはありえません。 サラリーマンのアウトプットは常に企業のためなのだから、サラリーマンのバイブルである「イシューからはじめよ」では、「そのイシューがだれのためのものか」を考える必要がありません。 (変わりようがないものを考えても、収穫はありません) だから、記述が省略されているのです。 まとめると、「イシューからはじめよ」は、「われわれは勤め人である」という箱庭の中で展開される問題解決ノウハウなのです。 「イシューからはじめよ」の序章のサブタイトルは「常識を捨てる」ですが、 まさにこの「だれの問題か」こそが、「イシューからはじめよ」のパラダイムの限界なのです。 この記事で言いたかったことは以上ですが、 最後に、この記事を書くに至った背景について述べさせてください。 この「だれの問題か」を考えるようになったのは、ここ数カ月で私の仕事への価値観が大きく様変わりしたためです。 以前の記事で述べましたが、最近、私の中に、「会社を辞めて独立したい、自分でビジネスをしたい」という思いが育ち始めています。 これまで鉄鋼会社のエンジニアとして(それなりのやりがいを持って)仕事に取り組んできた自分とは、かなり隔たった感のある思いです。 今までサラリーマンでいることに全く疑問を抱いてこなかった自分の中に、独立するという新たな選択肢が生れたことで、自分のものの見方が変化し、「イシューからはじめよ」の読み方が変わりました。 違和感を感じるようになったのです。 かつて、この本の一文一文を追って、業務に生かそう、アウトプットの質を向上させようと鼻息を荒くしていた自分が、 ここ最近、「どのプロジェクトを選ぶか」と言われて、「イシュー度の高い問題を解決しても、結局は会社のイシューなんだよなあ」と、考えるようになってしまったのです。 (もちろん、会社の利益がサラリーとして自分に還元されることは承知しています。 要は、仕事に対して、より直接的なやりがいを求めるようになったと言いたいのです) この記事の冒頭で、「座右の書としていつも傍に置いていた」と過去形だったのは、そういうわけなのです。 (もちろん、大切な本であることには変わりがありませんよ!) 私のものの考え方は、自分で自分に違和感を感じるほど急激に変化しています。 これを成長とポジティブに捉えていきたい、と考えています。

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