「亡者殿の口の中に物質を非物質に変換する唾液みたいなものが出ていてのう、それの作用で飯が、飯と云う物質、から、飯と云う非物質、に変わるのじゃよ」
「何か、判るような判らないような仕組みですね」
拙生は首を傾げるのでありました。
「娑婆的な云い方をすると、飯が亡者殿と同じ幽霊になるようなものじゃ」
また暗喩的な説明であります。
「我々亡者の口の中に、物質を非物質に変える唾液が出ているのですね?」
拙生は根本的にえらく難解ではあるにしろ、しかし如何にもメカニズム的言辞らしき語句のみを取り出すのでありました。「しかし、唾液と云うのはあくまで物質ですから、幽霊のような非物質的存在である我々亡者の口の中に、そんな物質が湧き出るなんと云う事自体、何か釈然としない話しになるような気がするのですがね?」
「まあ、唾液、と云うのも比喩に過ぎんでのう。判り易く云おうとして、ワシが唾液と譬えたまでじゃ。厳密には霊や鬼における唾液みたいな働きをする非物質、と云う事になるのじゃが、それは実は唾液とは全く違う非物質でのう。唾液にはあらねど唾液に働きが近似する非物質、と云うように考えて貰いたいわけじゃ。非物質存在である亡者殿の口の中に湧き出る、非物質的唾液と云う比喩的説明で、何とか一つ、手を打って貰えんかのう」
閻魔大王官は自分が一つ手を打って、懇願するような目をして見せるのでありました。
「私が欲しいのは比喩ではなくて、実際のメカニズムの説明なのですが、まあ、こう云う感じであれこれ言葉を交わしていると、矢鱈と話しが小難しくなるばかりですかな」
「ま、そう云うこっちゃ。ワシは閻魔大王官であって生物学者、或いは非生物学者ではないのじゃから、正確な物質の名前とか、或いは非物質の名前なんかもちゃんと入れて、そのメカニズムを上手く説明するのは、職務の領域を越えとるから手に余るわいのう。亡者殿には慎に申しわけない限りではあるが、そこいら辺を察して貰えると実に有り難いのう」
閻魔大王官は肩を窄めて恐縮のお辞儀をするのでありました。
「ああこれは、大王官さんに頭を下げられると、こちらが畏れ入って仕舞います」
拙生はたじろいで両手を横に何度もふるのでありました。「判りました。物質だの非物質だのと、ごちゃごちゃまわりくどい事の説明をこれ以上求めるのは止めにします。飯が亡者の口の中に入った途端、作用としての唾液のようなものが出てきて、飯と云う物質が飯と云う非物質に変換されるのだと云う点、その儘素直に受け入れるといたしましょう」
「いやいや、大度な大度、いや、態度、かたじけない」
閻魔大王官はそう洒落を云いながら愛想笑いをするのでありました。
「そう云うわけで、飯が飯と云う物質から飯と云う非物質になるのと同じで、酒も酒と云う物質から酒と云う非物質になって仕舞うので、幾ら飲んでも酔わないのですな。しかし酒には酔わなくとも車には酔うと云うのは、これは一体どう云った按配なのでしょう?」
「それは未だ、よう解明されておらんのじゃ。そう云う事例の報告は偶に我々の方にもあがって来るのじゃが、閻魔庁の亡者生理研究者の間でもさっぱり判らん現象でのう」
閻魔大王官はそう云った後、瞑目して口をへの字に曲げるのでありました。
(続)
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