『日米安保50年』 西部邁・宮崎正弘 2010/01
著者2名とも学生運動家から大学教授を経て評論・著作家。 日本は米国依存の平和に慣れて自主的な国防戦略がなくなったという本。
国防政策を浮遊させる原因は、国民と政府の双方に「自主防衛」の姿勢が皆無であること。自主防衛=単独防衛ではない。友好国と対等提携を維持するには、集団自衛権行使は当然。
2005年に締結した「日米同盟:未来のための変革と再編」という文書で、日米安保は事実上終わった(改定された)。日本が世界の平和と秩序維持に貢献し得る(=自衛隊を派遣する)という内容で、行く先はアメリカが決めるという片務性が残ったまま。
「思いやり予算」は在日米軍の経費の75%。外国の軍隊が駐留していること自体、主権国家の体を成さない。むしろ使用料を取るべき。
90年代後半にブレジンスキーは「日本はアメリカの保護領」と言った。ポエニ戦争の時のカルタゴは、ローマの保護領で防衛をローマに任せていたが、そのローマに滅ぼされた。
日本のあり方をねじ曲げたのは、結果的に吉田茂。憲法を改定する機会が山のようにあったのに先送りしてしまった。
政治の本質はゲバルト(暴力)。日本の政治家は町内会の役員レベルで、”戦争”のやり方(暴力犯に暴力で制裁する)も知らない。
ナショナリズム(国家主義)は世界的にもあまりいい言葉ではない。愛国主義の意味では「パトリオティズム」を使うべき。日本でパトリオティズムが回復しないのは、日本の歴史上の英雄の物語を教えなくなったから。
文明の歴史を見れば、未来は予測不可能。国家は戦争、大量破壊兵器が使われる可能性を念頭に置かねばならない。
中国が台頭し、アメリカが国益優先で日米安保を一方的に破棄してくるというシナリオにも対応できる日本にしておかなければならない。
西部の持論は、核武装・防衛費拡大・国防義務(徴兵制)。核廃絶が実現したら、それが最も恐ろしい瞬間である。核兵器についての知識は廃絶不可能なので、誰かが核兵器を作れば、世界はその者に服従することになる。
核兵器はセカンドアタック(報復)としてしか使えない。核兵器を持つ国はファーストアタックで何十万・何百万殺されることを覚悟すべき。
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『日米安保50年』
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