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使徒言行録 7章30~43節

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<「わたしたちの先に立って導いてくれる神々を造ってください。エジプトの地から導き出してくれたあのモーセの身の上に、何が起こったのかわからないからです。」彼らが雄牛の像を造ったのはそのころで、この偶像にいけにえを献げ、自分たちの手で造ったものをまつって楽しんでいました。(40.41節)> ミディアンに身を隠したモーセを主はそのままにしておかれなかった。主は「わたしはエジプトにいるわたしの民の不幸を確かに見届け、またその嘆きを聞いたので、彼らを救うために降って来た、さあ、今あなたをエジプトに遣わそう」とモーセに命じられた。 BC1290年、イスラエルの人々はエジプトを出発した。一行は祭司を別にして壮年男子だけで60万人、羊、牛など家畜もおびただしい数であった。彼らがエジプトに住んでいた期間は430年であった。 出エジプト12章は「その夜、主は彼らをエジプトの国から導き出すために寝ずの番をされた。それゆえイスラエルの人々は代々に渡って、この夜、主のために寝ずの番をする。」と過越祭の始まりを記している。 自由を得た彼らの喜びの大行列が続く。しかし、家族を伴い全財産を担ぎ、家畜を養いながらの荒れ地の旅は易しいものではなかった。奴隷でも良かった水も食料も豊かなエジプトにいた方が幸せだったと人々は、モーセに不平を並べた。 主が「わたしのもとに登りなさい。山に来てそこにいなさい。わたしは彼らに教えるために、教えと戒めを記した石の板をあなたに授ける」とモーセをシナイ山に招かれた。彼は40日40夜山に入った。人々はモーセの帰りが遅いことに不安を持ち始めた。 彼らは「我々に先立って進む神々を・・・」と金の子牛の像を造り、自分たちの神々としてそれを拝み、献げ物を供えた。 偶像を仏壇や仏像のことだと思ってはならない「最も注意しなくてはならない偶像礼拝は、私たちの心に潜むのです。もし、私たちが自分の願望を投影し、神はこういう方でなければならないと、神を自分たちの都合のいいように主張するならば、その心には偶像が鋳造されているのです」と松浦牧師は指摘される。 目には見えないけれど心に頑なに持つ偶像を、排除することが求められている。


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