Quantcast
Channel: So-net blog 共通テーマ 本
Viewing all articles
Browse latest Browse all 53333

『いまどきの「常識」』読了(追記あり)

$
0
0

 香山リカさんの、『いまどきの「常識」』を読みました。

いまどきの「常識」 (岩波新書)

いまどきの「常識」 (岩波新書)

  • 作者: 香山 リカ
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2005/09/21
  • メディア: 新書

 例によって、感想は、追記をお待ちください。

 

   追記・感想

 

 香山リカ氏が、昨今の諸問題について、一定の見解を述べた本である。版が古いので、

最近の出来事(震災など)については述べられていない。

 ざっと、大まかな感想から。

 勝間和代氏の見解とは相違する、ということが、やはり今回の本編でも述べられている。

それから、女性蔑視の一部の世間の声に対して、敏感に反応しているし、独身のまま40

代にもなった女性たちを擁護する意見も随所に見られる。憲法改正にも反対のようで、自

衛隊を軍隊にすべきというような案には大反対であるようだ。

 感想として思うのは、採り上げられている問題を、あまり深く掘り下げているとは言え

ないと思ったこと。それに、独自の提案も、とくに目を引くほどの新奇なものはなかった。

自分が書きたいと思う事柄を新聞などを読んで、それなりに自分の見解を述べれば、この

本に書かれている程度のことは、香山女史でなくても書けると言える程度の内容だった。

香山リカという名前が世間に知られて、内容の希薄な本も、内容の濃い本の間に挟んで出

版するのだろうから、ネームバリューがあるというのは得だな、と思えた。

 

 付箋を追いながら、女史が言いたい内容を採り上げる。

 自己責任論が闊歩している世の中だが、すべてを「自己責任」か「病気」のせいにする

のではなく、「すべて他人のせいでもないけれど、自分ばかりが悪いわけではない」とい

うスタンスを持つべきなのではないか、という論旨。

 少年の凶行が頻繁に起こっているのは、家庭の母親が手料理を食卓に出さないから、家

族で一緒に食事を摂らないから、という見解が『キレる子供は食事で変わる』(千葉三樹

男編著、エイ出版社、2001年)という本に書かれていたとして、少年犯罪やキレる子

供の原因が、いつのまにか「親が手作り料理を作らないこと」に特定されていることに異

論を唱えている。手料理で、栄養のバランスを保つことが凶行の抑止に直結するのか、家

族団らんのときを持つことが、果たして子供を穏和な性格に改善することに繋がるのかが

怪しい、としている。親子一緒に食事をとるほうが、却って息詰まる食卓をつくることに

なるのではないか、と。科学的根拠がない、としている。

 「ゆとり教育」の時代(版が古いので、少なくとも診察した子供は、まっただ中だった

のだろう)だが、診察室で不登校や拒食症の子どもたちを見ていると、心にゆとりのない

ケースばかりが目立つ。自由な時間を与えて、ゆったり好きなことをさせようとしても、

そのためには最低限の自己肯定感が必要だ、と。

「ゆとり教育」を取り止めて、30年以上まえの「詰め込み教育」の時代に戻り、女性の

社会進出の動きにもストップをかけて、やはり30年以上まえの「女性は家庭に」という

風潮を復活する。タイムマシンがあるわけでもないのに、価値観やスローガンだけを何十

年もまえに戻したからといって、何か劇的な効果が期待できるとはとても思えない。【本

文引用】

 のらりくらりと、この本には、こう載っていた、とか、新聞の論調はこうだ、とか言っ

て思考を行き巡らせる過程を書いているが、だったら、結局本人の意見としては、どうし

たら改善できるのか、という結論がまるで書かれていない。何のためのこの本なのか、と

いうところが見えない。案がないなら、案がない、と書くべきだ。

 

 4章の『病気も障害も「負け組」』という項を採り上げる。

 この項では、私がその通りだと思った見解が書かれていた。

 まずは、本文を大幅に抜粋する。

【 自分から好んで病気になったり障害を抱えたりする人はいない。それに、自分たちだ

っていつ病気や障害におそわれるかもしれない。だから、いま幸いにして健康な人は、す

でに病気や障害に苦しむ人にできるだけ手を差しのべよう。たとえその人たちが「働けな

い」など自分とは違う状況にあったとしても、できるだけ理解するようにしよう。 子供

の頃、ほとんどの人が家庭や学校でこう教わってきたはずだ。】

 まったく、この通りである。倫理・道徳の最低限の考え方である。

 しかし、近年、社会の風潮が変わってきている。

「障害のある人も社会の一員として普通に生活を送ることができる社会」は、「障害のな

い私たちにとっては暮らしやすい社会とはいえないのではないか」、という風潮である。

「障害のある人のことを考えるよりも、まず障害のない人たちの安全や利益を確保しよう」

という動きも実際に出てきている。【一部本文引用】

 2003年に、「心神喪失者等医療観察法」が公布されたが、「公布日から二年以内に

施行される」とされていたのだが、2005年7月が近づいても施行のめどが立たず、つ

いに施行まえに一部が改正された。池田小の事件があったので、結局は、一部改正はあっ

たものの可決されたのだ。だが、心神喪失者の更正施設を作る段になると、各予定地の人

たちは反対した。「精神障害者は、何をするかわからない人物だ、と考える風潮ができて、

そういう人たちの内、一旦犯罪を犯した人は、長く隔離して更正させようとなったのだが、

その施設を作る段になると、誰も、自分の地元には建ててほしくない、と反対運動を起こ

した。この内容の詳細は、本編に譲る。

 弱い人の立場になって考えることの面倒くささから逃れるために、病気や障害を持つこ

とになってしまった人たちまでを、あの人たちは“負け組”なんだ、と考えようとしてい

るのかもしれない。「“弱い人”たちが暮らしにくく、そうでない人たちだけが暮らしや

すい社会」などというものがあるのだろうか。【本文引用】と、締めくくっている。

 

 インフォームド・コンセントの問題点。お客である患者が医療を選ぶ、という図式なの

で、医者のほうが最適な治療法を知っていても、それを薦めずに患者に治療法を選ばせる。

それは、患者との法的なトラブルを避けるため。

 どんな難病でも、患者に告知してしまい、そこで取り乱す患者は、「問題のある特殊な

ケース」として、すぐに精神科受診がすすめられる。

 何だか、医療の現場もアメリカナイズされてきたと感じる。企業買収にしても、要件を

満たせば坦々と進められる。当然と思える人情の入る隙間もない、と思った。そういうシ

ステムから外れた例外の人(ということになっている人)が、精神科医に任せられる。

 『テレビで言っていたから正しい』の章。

 サブリミナル仮説(映画の中で意識されないほどの短さでコーラの映像を見せると、人

はコーラが飲みたくなる)というのは、仮説の提唱者がこの実験そのものに問題があった

ことを自ら公表し、「仮説は間違っていました」と取り下げているのだが、その後も広告

業界やメディアの世界で話題となり、サブリミナル効果をうたった商品も売られている。

「ゲーム脳」にしても「テレビは子供に危険」という提言にしても、信じる人にとっては

科学的根拠は、どうでもよく、自分がなんとなく「あやしいな」と思っていたことが、専

門家によって裏付けされたときの、「やっぱり私は正しかったのだ」という快感はあまり

に大きく、後に、説に根拠がなかったと発表されても、もはやそれを受け入れることはで

きない。【一部本文引用】香山氏の主張は、こうである。何でも一方向に、悪者を決めて、

それまでの暮らしから対象を除外するよりも、もう、現代なのだから、便利な機器は使い

続けたらよいではないか、と。その方が、まだ、家族とのコミュニケーションも普通に自

然にできる、と。

 「外国人犯罪の急増・凶悪化」という論調がある。「犯罪増加の基調」の温床として「外

国人」と「少年」があげられている。が、しかし、日本全体の刑法犯検挙人員に占める来

日外国人の割合は、過去10年間(この本の版年時点)、一貫して、2パーセント前後とほ

とんど変わらない。

 メディアが、誇張して伝えるから、世間に誤解を蔓延させるのだろう。香山氏は、その

ことを危惧されている。

 『国を愛さなければ国民にあらず』の章。

 佐伯啓思氏は、ファンダメンタリズムやナショナリズムは、グローバル化の反作用とし

て必要とされているもの、と仰有る。宮崎正弘氏は、近年の中国の一連の反日運動こそが、

日本のナショナリズムの呼び水になった、と仰有る。

 ナショナリズムに傾倒していくときに、要人の発言が、そのなかの「国益」というもの

の意味が、国民の利益から、国家の利益へと変化している。それは、国民には気づかれな

いような、隠れた「すり替わり」として行われている、と。

 人間の脳の思考回路は単独ではない。意志決定にしても、「長期的な報酬を目指す回路」

と「短期的な報酬を目指す回路」がある。それが、最近の私たちは、単独の短絡的回路の

みしか稼働させずにものごとを考えるようになってしまっている。国益に関しても、同じ

ことが言える、と。

 あとは、靖国神社参拝の問題。日本人は、過去を水に流す。中国人は、そうではない。

他の本で読んだが、ユダヤ人も、過去のことは、永久に憶えている。

 9.11のテロにしろ、2005年のロンドン市街でのテロにしろ、その後、すぐに平常通

りに仕事に行き、何事もなかったかのように生活することがテロに屈しないこととして政

府から推奨されたが、果たして、それを以て、テロに屈していないことになるのだろうか、

ということ。死者や大けがをした人が居るのに、平静を装うことが、テロに屈していない

ことになるのだろうか、と読者に問いかけている。

 『あとがき』では、教育関係の講演会で、講演者に先立って「開会の辞」や「講師紹介」

を述べる関係者が、聴衆に向かってだけではなく、ステージの壁のほうに向かっても恭し

くお辞儀する、という行為について、「学校関係の行事だと、そこに日の丸が貼られてあ

る筈の壁」なので、日の丸がなくても、お辞儀するのだ、ということを関係者から聞かれ

た。そのことについて、「もっともだ」と「笑止に値する」という意見を、両方出されて

いた。

 これで、全編を網羅して紹介したが、「何やねん?」と思えてしまうのだ。感想として

は。全編の、どの章、どの項でも、香山氏自身が、「自分は、こう思う」「自分は、こう

すべき、こうあるべきだと思う」という、はっきりした意見が出てこない。

 靖国参拝の問題にしろ、憲法改正の問題にしろ、世の中の意見が分かれ、尚かつデリケ

ートな問題だ。そういう問題になればなるほど、ご自身の見解と、はっきりとした意見が、

まったく出て来ない。言えない、なら、そういう問題に敢えて首を突っこむことをやめて、

文化の話題だけにして、はっきり言えばいいのではないか、と思った。

 精神障害者の気持ちや、忸怩たる思い、については、この人は、相手の身になって充分

に斟酌している。また、精神障害者の社会的立場を擁護する意見も、しっかり出されてい

る。こういう人が居るから、弱者も救われるのだと思う。その部分には、一定の評価をす

る。

 以上である。

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村

Viewing all articles
Browse latest Browse all 53333

Trending Articles