<モーセは、自分の手を通して神が兄弟たちを救おうとしておられることを、彼らが理解してくれると思いました。しかし、理解してくれませんでした。(25節)> 松浦牧師はステファノの説教を4回に亘って説いて行かれる。ヤコブに生まれた12人の息子はイスラエル12部族の先祖となる。12人のうちの末息子ヨセフはエジプト人に売られた後、エジプト王の宰相となる。 ある年、12部族が住むカナンの地を大飢饉が襲い、それを知ったヨセフは父ヤコブと75人の親族一同をエジプトに呼び寄せた。年を経て、彼らは死んでしまったが、イスラエルの民は増え続けたため、彼らのことを知らない別の王が支配者になると、子供を産むことを禁じられ、彼らの奴隷とされた。(BC1700~1290年頃まで) そんな中「誰かに拾われますように」と秘かに捨てられたモーセを、ファラオの王女が拾い上げ、自分の子として育て上げた。王宮の豊かな教育によってエジプト人のようになったが、40歳の時イスラエル人がエジプト人に虐待されているのを見て、エジプト人を打ち殺した。 次の日、今度はイスラエル人同士が争っているのを見て、仲裁に入ると「誰がお前を我々の指導者や裁判官にしたのか・・・」と彼らはモーセを突き飛ばした。モーセがイスラエルの同胞のためにエジプト人を殺さざるを得なかったことを同胞たちはわかろうとしなかった。 モーセはエジプト人を殺したことによって犯罪人となり、イスラエル人からは理解されず拒まれ、イスラエルの輪の中にも入れなかった。 「理解してくれないのは何よりも悲しいことです。とりわけ仲間であると思っていた者たちからの無理解は、時にわたしたちの生きる力を萎えさせます。けれども神はこのモーセをイスラエルの指導者として召しだすのです。裏切られてもなお、裏切る民を救えとお命じになるのです。ここに十字架が立ち上がります。裏切る人間の救いを完成されたキリストの贖いの十字架です」と松浦牧師は結ばれる。 「無理解」で思い出したことは、過日沖縄に行ったとき「沖縄の現状を本土の人々は知っていただきたい」と重ねて話されたことだ。本土の人々が持つ理解や同情ではない、理解が求められたが、どうしても温度差があることを実感した。
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