幽霊(9)
「驚いて足が止まったんだよ。今、絵里子が立っている辺りに一美先輩が見えたんだ。小さな男の子と手を繋いで立ってた。目が合ったと思ったら足が止まって動けなくなったんだ。車のクラクションの音が聞こえて、もう一度見るともういなくて、そこに絵里子が立ってたんだ」
俊介はそう言うと、もう一度辺りを見廻すようにした。私は目の前にいるのに、もう見えないみたいだ。
「何かの見間違いよ、綺麗な女の子でもいたんでしょ。だって私はさっきまで一美先輩を見舞ってたのよ。もしも動けたって、私より先に来るのは無理よ」
絵里子は少し怒ったような口調で言った。私のことは見えないようで、二人の間に挟まれて会話を聞いている。なんだか位置関係が気持ち悪い。絵里子の後ろに立つと、二人は並んで歩き始めた。
「でもなぁ、あれは絶対一美先輩だったよ。見間違いなんかじゃ無い」
俊介は、路面を見つめながら独り言のように言った。
「ここのところ考えすぎよ、疲れてるんだわ」
絵里子は、俊介の顔を覗き込むようにして慰めている。
「そうかなぁ」
俊介はまた、独り言のように言った。納得していないみたいだ。私の心臓が大きく波打ったように、俊介も同じようになったと思う。まだ心臓の鼓動は早く、見間違いで無かったと主張しているんだろう。
「ねぇ、知ってる人なの?」
信也君が訊いた。同じ会社で働いている人で、男の人と私はデートして事故に遭い、私だけ昏睡状態になって入院していると教えた。
「あのひとね、お姉ちゃんのこと本当に見えたと思うよ。僕ね、少しわかってきたんだ。どうして見える人と、見えない人がいるかって考えるとね、もうすぐ死ぬような人は見えるようになるんだ。だってね、見えた人は死んで、見えなかった人はみんな退院して行ったよ。何年も病院にいるから、これは本当だよ」
信也君は、心配そうに私を見上げて言った。
「それじゃ、目の前を歩いている俊介君も死ぬの?」
「それは………わからない。でもきっとね、弱ってるんだと思う」
頭脳は中くらいでも、会社の中では、一番元気な俊介がもうすぐ死ぬなんて考えられない。弱った俊介だって見たことも無い。でも、言われてみれば、絵里子と並んで歩く俊介の後ろ姿が弱々しく見える。徹夜の後でも俊介は溌剌としていた。だから先輩から、元気だけは超一流だと冷やかされていたのにどうしたのだろう。
二人は並んで歩いているけど、なんだか雰囲気がおかしい。恋人同士なんでしょ、私に遠慮しないで、もっとべたべたしなさいよ。私の心は、嫉妬心と心配が混じり合って複雑な気分になってきた。
「姉ちゃん、ちょっと手が痛いよ」
手を繋いでいる信也君が文句を言った。
「霊体なんでしょ、そのくらい我慢しなさいよ」
私は信也君を横目で睨んで、黙って歩いた。