<イエスは十二人の弟子を呼び寄せ、汚れた霊に対する権能をお授けになった。汚れた霊を追い出し、あらゆる病気や患いを癒すためであった。(1節)> 弟子は師に学び従う者。使徒は師の行動や言葉を他者に伝える者をいう。使徒パウロのような例は別として、イエスの弟子たちは後に使徒と呼ばれた。古代において病は汚れた霊の仕業と考えられることが多かった。弟子たちが与えられた権能は病を癒すものであった。 12人の中には、パプテスマのヨハネの弟子フィリポ、先に登場した徴税人マタイ、また、66年ローマ帝国に向かって反乱を起こし、その後もエルサレムで反乱を起こす過激派の熱心党のシモンもいた。そして、主イエスを裏切ることになるユダも入っていた。 主イエスは12人を遣わすにあたり「イスラエルの家の失われた羊のところに行け。行って『天国が近づいた』と宣べ伝えなさい。病人を癒し、死者を生き返らせ、思い皮膚病を患っている人を清くし、悪霊を追い出しなさい。ただで受けたのだからただで与えなさい」と命じられた。 主イエスは彼らに福音を宣べ伝えることと、癒すことの二つを命令される。彼らが伝える神の国の福音の宣教は、神の国のしるしによって確証されなければならなかった。 欧米諸国のプロテスタントの教会は日本へのキリスト教宣教が認められると、多くの学校や病院を造った。清潔で合理的な欧米の文化に憧れ、人々は子弟を入学させた。しかし、その結果、彼らの中にキリスト教が広まったとは思えず、ただエリート意識だけが生まれている。 「目に見える形の愛に満ちる憐れみ深い行動を通して、生ける福音を伝達する。しかし、同時に教会は人間の魂への配慮と、その肉的存在に対する真実な関心が両立している場合に、その近隣地域に効果的に手を差し伸べる福音伝道を成すことができる」と解説書は説く。 私たちの教会に時々「朝から何も食べていない」と訴える人が訪ねてくる。そのような人に福音が何の役に立つのだろうか、彼は目の前に何かを・・・と目で訴える。彼の窮状は、魂の窮状であることがわかりながら、彼に届く言葉をいまだ伝えることができない。
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