Quantcast
Channel: So-net blog 共通テーマ 本
Viewing all articles
Browse latest Browse all 53333

マタイによる福音書 9章27~34節

$
0
0

<そこで、イエスが二人の目に触り、「あなたがたの信じているとおりになるように」と言われると、二人の目が見えるようになった。(29節)> 古い時代からユダヤ人たちは、罪に対する遺憾の念を表明する手段として、またそうすることによって神の審判を避ける手段として、断食をした。主イエスの時代、ファリサイ派のユダヤ人は木曜日と金曜日に断食していた。パプテスマのヨハネも断食を実践していた。 ヨハネは、身代わりとして自分自身を苦しめることによって、イスラエルの民に対する神の不快感が軽減できると思っていた。彼の弟子たちが主イエスのところに来て、なぜ、あなたの弟子たちは断食しないのかと尋ねた。 主イエスの答えは「花婿が一緒にいる間、婚礼の客は悲しむことができるだろうか。…」というものであったという、難解なものであった。 解説書は「病人を癒したり、社会から締め出された人々と交わりを持つというイエスの宣教の中には、神の支配の到来が先取りされている。神は現存しておられ、恵み深いお方なのである。それをお祝いするのに、これ以上のどんな理由があるだろうか」と説いている。 ユダヤの学者たちは、主イエスが罪の赦しを宣言したこと、罪人と交わりを持ったこと、そして、断食を守らない事を非難した。その人々に「新しいぶどう酒は、新しい革袋に・・・」と説かれた。今や、神が新しいことを行っておられるのだから、古い習慣を後にして、神の恵みに応答する新しい方法を見いだすべき時が来ていることを告げられた。 その後、ユダヤの1人の指導者が主イエスのもとに来て「娘を生き返らせてください」と願い出た。彼の家に向かう途中、長く出血の止まらなかった女が主イエスに近寄り、「この方の服に触れさえすれば・・・」と思い、主イエスの服に触れた。 女は癒され、娘は生き返った。主イエスが家に向かわれると、二人の盲人が「ダビデの子よ、わたしたちを憐れんでください」と言いながらついてきた。「わたしにできると信じるのか」と問われると「はい、主よ」と言った。二人は目が見えるようになった。口のきけなかった人も、ものを言い始めた。 考え込む間もなく奇跡物語が繰り返され、そのことにこだわってしまうが、癒しよりも、教えと説教が優越していることをマタイは記して行く。


Viewing all articles
Browse latest Browse all 53333

Latest Images

Trending Articles



Latest Images