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幽霊(7)

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                             幽霊(7)

「みんな行っちゃったね」
 信也君はそう言って笑った。何となく人間の不思議と言うか、魂って言うのか霊体って言うのかわからないけど、そんなもののあり方が少し見えたような気がした。よく、人間の皮を被った獣なんて言い方があるけど、大事なのは中身だって言うことを、目の前で見せつけられた。そしてもう一つ大事なことは気づくってことかしら。私の霊体は人間の形をしているから、それほど悪くないと思うけど、ただそれだけって感じがする。人間の上でも下でもない。でも人間の上とか、下とかってなんだろう。自分の思いついた言葉に頭が混乱してきた。確かにくねくねしていた光子さんは、なんだか人間より下って感じがしたけど、上ってあるのかしら。ランクアップしたらどうなるのかしら。
「ねぇ、信也君はランクアップする為に今の身体を選んだって言ったよね。信也君がランクアップしたらどうなるの、スーパー人間とかになるの? それとも神様とか仏様になるの?」
 天井を見上げている信也君に訊いた。
「姉ちゃんはさぁ、神様とか仏様を見たことあるの?」
「スーパーサイヤ人なら漫画で見たけど、神も仏も見たこと無いわ」
「僕も無いよ。きっとどこにもいないと思う。だって、フェイズバンクでも見たこと無いし、昏睡状態になっても見たこと無いよ、話しかけられたことも無い」
 信也君は困ったように言った。
「でもさぁ、神の声を聞いたとか言う人いるじゃない、あれはどうなの?」
「自分の声じゃないかなぁ。自分の中にはね、何人も自分がいるんだよ。その中の一人だと思うなぁ」
「自分の中の一人? そうかなぁ。そうだわ、これから病院の外に出かけて神様と仏様を捜してみようよ。案外いるかも知れないわ。そしてね、こっそり耳もとで囁いているかも知れないわよ」
 自分の考えにちょっぴり楽しくなってきた。昏睡状態の私のことは薫に任せておいて、この世という場所を探検したくなってきた。私には、現在というより、この世といった方がしっくりくる。
「いいよ、付き合う。じゃぁ、僕が先に行くから付いてきて」
 信也君はそう言うと私の手を握った。

 身体がどこかに吸い込まれる。目の前の景色が消えていくのと同じように、私の身体も消えている。
「ここはどこなの? どこに来たの?」
 信也君の姿がぼんやり見えてきた。
「えっとねぇ、ここは………僕にもわからないよ。外へ出ようと思っただけだけど、何か違うみたい。変だなぁ、もっと上手にできたのに」
 信也君は申し訳なさそうに言った。
「何か見える?」
 信也君に聞くと、今まで来たことが無い場所だと言う。霧が晴れるように、自分の身体の輪郭がはっきりしてくるのがわかる。自分の手を目の前で動かすと、五本の指がはっきり見えた。その指の間に血相を変えた若い男の顔がある。
「あんたのせいだ、どうにかしろよ!」
 手を下ろすと、尖った顎が大きく動いて怒鳴っているのが見えた。
「もう、どうにもならねぇんだよ、ギャーギャー騒ぐんじゃねぇよ」
 怒鳴られた男も負けずに言い返している。
「まぁまぁ、お二人とも落ち着いて下さい。ほら、珍しいお客さんが見えていますよ」
 そう言って、三十センチほどのあご髭を撫でながら、年老いた男が私たちを見た。
「あの………私たちが見えるんですか?」
 髭を生やした老人と、先ほどまで言い争いをしていた男たちを交互に見ながら訊いた。
「勿論見えますよ。小さい方は、河原信也君で、あなたは松浦一美さんですね」
 老人は、笑みを浮かべながら言った。喧嘩をしていた二人の男も、何事も無かったかのように私たちを見ている。
「どうして名前を知っているの?」
 老人に訊いた。悪い人には見えないが油断はできない。
「フェイズバンクの情報は、全てここで管理していますからね。すぐわかりますよ。でも、ここにいらっしゃるとは思いませんでした。何かご不満でもございましたか?」
 老人はそう言って、またあご髭を撫でた。首の下から足先まで、白い布地ですっぽり覆い、手には所々曲がったところのある杖を持っている。まるで絵に描いた神様みたいだ。
「僕ね、お爺さんのこと思い出した。夢で一度見たことあるよ、いつ頃だったかなぁ」
 信也君が嬉しそうに言った。
「そうですか、あの時はちょっと心配になりましてね、それでひと言お話に行きました。思い出してくれるとは嬉しいですね。大抵はですね、私のことなど、ただの夢だったと、いつの間にか忘れ去られてしまうものなのです」
 老人はそう言うと、眼を細めるようにして信也君を見た。
「ここはどこなの?」
 私は辺りの様子を見ながら訊いた。この世じゃないことはすぐわかる。足元はスモークを流したみたいだし、後ろは深い霧のようなものに邪魔されて見えない。そして目の前には白い服を纏った男が三人いる。
 老人は困ったような表情をしたが、先ほどまで喧嘩をしていた二人と顔を見合わせると話してくれた。
「ここはですね、天国のように思われると思いますが、そんなところではありません。かといって、極楽浄土と言われるような場所でもありません。勿論、地獄なんてところでもありません。つまり、名前の無い場所なのです。皆さんにとっては、名前が無いと不便かも知れませんが、私たちにとっては、名前があることは不便ですし、余計わかりにくく複雑になるだけなのです。ですので、お好きなようにお呼びになって構わないのです。名前などと言うものは、ある性質を固定化するだけで、何の得にもならないのです。全ては常に変化し続けるものなのですから。つまり、私たちにはわからないのです。これでよろしいでしょうか」
 老人は満足したように微笑んでいる。
「つまりこうかしら、あの世でもなく、この世でもなく、来世でもなく、現在でもなく、未来でもなく、過去でもない、どこか」
 私は、思いつく限りの言葉を羅列した。
「そうです。その通りです。ここは、どこかなのです。これからは、誰かに訊かれたら、ここは、どこかです、と答えましょう」
 私の言い方がよほど気に入ったようだ。喧嘩をしていた男たちが両手を叩いて喜んでいる。喜ぶ時に両手を叩くのは私と同じみたいだ。
「信也君わかった? ここは、どこかって言うのよ」
「わかったよ。でもさぁ、どこかって言うのも名前じゃないの?」
 信也君は私を見上げて言った。もっともだと思うけど、これ以上話すと余計わからなくなってしまいそうだ。
 何をするところなのか訊くと、老人は、長い髭を触りながら、何でもするところだと答えた。他に誰かいるのかと訊くと、いると思えばいるし、いないと思えばいないと答えた。こういうのを、暖簾に腕押しって言うのかしら。何一つ答えらしい答えが返ってこない。
「ありがとう、よくわかったわ」
 私はそう言って、信也君の手を引っ張って歩き始めた。そうだわ、もう一つ訊くことを思い出した。でも答えてくれるかしら。少し歩いたところで後ろを振り返って訊いた。
「ねぇ、二人はどうして喧嘩していたの?」
「いつものことですよ。二人はですね、まるで正反対で、いつも反目しているのです。そこで私の役目なのですが、二人の審判をしているのです。まるっきり同じ力なのでいつも判定に困ります。引き分けはありませんので、目を閉じて決めているのです。誰かに勝敗を教えて頂ければ嬉しいのですが、そのようなことは滅多に無いのです」
 老人はそう言って私たちに手を振った。
「さようなら、どこかにいる誰かさん」
 そう言って歩き始めた。どこまでも白い道が続いている。足元はよく見えないので、自分が歩いているのか、それともカーリングのように滑っているのかさえよくわからない。だけど、前に進んでいることだけは感覚的にわかる。一度だけ後ろを振り返ったけど、もう誰もいなかった。
「信也君、これからどうするの?」
 そう言って空を見上げた。だけど、空だと思って見上げた空間は漆黒に包まれ、何一つ見えるものは無い。じゃぁ、ここは? 信也君も私と同じように漆黒に包まれた空間を見上げている。
「ねぇ、懐かしい感じがするよ、どうしてかなぁ。ぼくね、学校に入学する前だけど、一度だけお父さんの故郷に行ったことがあるんだ。お父さんはね、故郷が近づくと言葉がだんだん変になってくるんだよ。最後に、ずらって付けるようになってね、可笑しいのは、顔がだんだん丸くなってくるような気がするんだ。そしてね、いいなぁを連発し始めて、最後にいつも、帰るところがあるっていいなぁって言う。 僕ね、今そんな感じがしたよ。ここは僕の故郷かも知れないなぁ」
 信也君はそう言いながら、真っ暗な空を見上げている。だけど、私はなんだか不気味に思えるし、もしかしたら、とんでもない化け物がこちらを見ているように感じる。同じ空を見ているのに、信也君と私はまるで正反対のことを感じているようだ。                 


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