<狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。(13.14節)> 「人を裁くな・・・あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の丸太に気付かないのか・・・」と主イエスは戒められる。 隣人を裁き、非難を重ね、レッテルを張り、勝手に地位を定め交わりを制限する。そして、自らを正当化し評価してしまう。道ですれ違った人の服装さえも裁きの対象になる。無意識に人を断罪し選別する。 「主イエスが十字架に架かってまでも救おうとされたはずの隣人を裁きの対象にしてはならないのです」と森下牧師は説かれる。 また主イエスは「求めなさい。そうすれば与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門を叩きなさい。そうすれば開かれる(7章12節)」と祈ることが勧められる。 マタイ書5~7章は、山上の説教と呼ばれ、ルカ書6章の平地の説教とともに深い福音の教えの宝庫であると解説書は記し、特に12節は、神の深い愛を知る者は、他者に対して神の深い愛を実践すべきだと語る主イエスの教えの中でもよく知られた聖句であり、昔から黄金律(ゴールデン・ルール)と呼ばれている」と記す。 そして「聖書は人間に対して、素晴らしい約束を語ってくれている。問題はこの約束の言葉を聴くわたしたちが、愛に満ちた、力ある神のその約束を、本当に信じるかどうかにかかっている。主イエスのこの約束の言葉を信じて、共に祈っていきたいものである。」と続く。 今日の箇所は、二つの門について記される。兄姉が多かったせいか団体の中にいるのが楽でよく考えもせず、人の後についている。そういう者には狭くて細い真の門が目の前にあっても、潜って行くことはもちろん見いだすことさえできないと主イエスは言われる。 暗くて狭い道は先も見えず手探りで歩くしかないが、その時こそ導いてくださる神の手を知る機会かもしれない。必要以上に街灯がともる道では月光の素晴らしさを感じられないように。
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