幽霊(5)
「お爺さん、それなら私は何度も経験したわよ」
光子さんが身体をくねらせながら言った。
「じゃぁ、なんでこんなところにおるんじゃ」
「私は極楽をお金で買ったのよ。素敵な高級マンションにお花を一杯飾ってね、イケメンを私の廻りに集めて、美味しいお酒を毎日飲んで暮らしたわ。お爺さんの思っている極楽よりもっと素敵だと思う。でもね、すぐに飽きちゃうわ。何かが足らなかったのね」
身体をくねらして気持ち悪く、声は寂しそうに聞こえる。
「ふん、そんなもんかのう、それでも行ってみたいもんじゃ」
お爺さんは不機嫌そうに言った。
「私もね、極楽なんて無いと思うわ。フェイズバンクに行ったから少しわかったの。死んだら次の人生を選んで生まれ変わるの、ただそれだけよ」
「どいつもこいつも夢の無い奴ばっかりじゃ。つまらんのう。誰だって、苦しみも悩みも、病気も寿命も無い世界に行きたいはずじゃ」
爺さんは語気を強めて言った。
「退屈してうんざりするだけよ。その内、病気の一つもしてみたいって思うわ」
光子さんが身体をめいっぱい伸ばして言った。
「それじゃ、あんたは退屈してそんな身体になったのか。気持ち悪いのう」
老人が天井から首を伸ばして光子さんを見た。
「そう、それなのよ。私はお金があったから、やりたいように、好きなように暮らしただけなの。悪いことなんて一つもしていないはずよ。だから、なんでこんな身体になったのかわからないわ」
光子さんは見せつけるように身体をくねらした。
「そんなの簡単だよ。僕を見ればわかるじゃない。だってさぁ、ベッドにいる僕の身体はほとんど動かないし、手も足も背骨も、ぐにゃって曲がってるでしょ。でも目の前の僕は、普通だよ。霊体になるとさぁ、中身の形になるんだよ。だから光子姉ちゃんはさぁ、見かけは人間の格好だったけどね、中身はくねくね怪獣だったんだよ」
信也君は、安置してある光子さんの遺体を見ながら言った。
「私がくねくね怪獣、それって酷くない? 私だって好きでこんな格好になったんじゃないわよ」
怒っているのか、悲しんでいるのかわからないけど、くねくねした身体から粘着質の汁が染み出してきた。
「生きてきたようにしか死ねんと、どこかで聞いた覚えがあるぞ。光子さんはのう、人間らしゅう生きてこんかったんじゃ。のらりくらりと怠けてばかりで、そのくせ、人のことばっかり気にして見ていたんじゃ。人はあんたと接すると嫌な気持ちにさせられて、誰も近づかんようになる。動物だって愛情みたいなもんは備わっとるのに、あんたはなんでか、そんなもんがようわからんかったんじゃ。それで独りでくねくねしとるだけの中身になったんじゃろう。あんたは本物の極楽には行けんなぁ」
お爺さんはそう言うと天井に張り付いた。きっと、光子さんの身体が伸びても届かないように逃げたのだろう。
「極楽なんてどうでもいいけど、このままじゃ嫌よ。どうすればいいの?」
光子さんは天井に向かって、精一杯身体を伸ばして訊いた。
「そんなことは知らん、わしだってこれからどうなるか聞きたいんじゃ」
「大人って、ホントに何にも知らないんだね。僕が教えてあげるよ」
そう言うと信也君は、天井を見上げながら話し始めた。
「僕はね、今の不自由な身体に生まれる前は普通の人だったんだ。家族の為に一所懸命働いて、子どもを育てて、年寄りになって孫に囲まれて死んだ。幸せだったよ。何一つ悪いことはしなかったし、みんなからはいい人だって言われた。今でもそれで十分だと思っているよ。だけど、死ぬ時に思ったんだ。長生きして何をしたんだろうって。何か物足りないって思ったんだ。そのまま意識が薄れて、気がついたら別の世界に行ってたんだ。でも最初は別の世界だなんて思わなかったよ。だって今までと同じように家族がいて、孫もいたんだ。違っていたのはね、ブェイズバンクがあることと、時間が無いことくらいかな。だからね、お爺さんも死んだら、綺麗な女の人じゃなくて、演技の上手いお婆さんがいると思うよ。
それでね、フェイズバンクに行ったら、好きなところに行けるって言うし、体験もできたんだ。色々考えたよ。真面目一本で生きてきたから、今度はその反対をやってみたいとか、何でもいいからスターになってみたいとかね。だから、やりたいことは全部体験してみたよ。一つわかったことはね、楽しいだけじゃつまんなくて、その内飽きるってことだよ。だから次から次へと色んな楽しみに手を出してしまうんだ。思い出してみるとね、大体がね、食べることと、着ること、それにHなことがほとんどだったね。時々難しい本を読んだりすることもあったけど、それだけじゃ足らなかったよ。
フェイズバンクの男の人が呆れてた。それで選んだのが今の身体さ。何にも自由にならなくて、口から食べることだってできないんだよ。でもね、一つだけできることがあるんだ。フェイズバンクのおじさんはね、学習ができるって言ってた。人のね、百倍も千倍もできるんだって。そしたらね、この次フェイズバンクに来た時は王様だって言ったよ。特別ランクになるんだって」
信也君は話し終えると、私を見て微笑んだ。
「本当かのう、そのエイズ番というのは。わしは楽しいだけで十分じゃ。まぁ、またあの意地悪婆さんに会えるんじゃな、そりゃ地獄じゃ」
お爺さんは、歯の無い口を大きく開けて笑うと、話を続けた。
「せめてもの救いは、エイズ番で体験というやつができるっちゅうことじゃのう。婆さんには内緒で綺麗な女人と戯れるとするかのう。おお、また臨終のようじゃ、今度こそ、医者も諦めたんじゃろう。婆さんが上手に泣いとるようじゃ。ぼうず、頑張れよ、この次またどこかで会うじゃろう。世話になった」
お爺さんはそう言うと、光子さんのことは、ほったらかしにして、天井に吸い込まれるように消えた。私と信也君で何とかしろってことかしら。