著者は『読まずに死ねない哲学名著50冊(フォレスト出版)』の著者である。「哲学者・竹田青嗣教授に師事し、卒業後も薫陶を受けつづけている」とフォレスト出版のプロフィルに紹介されている。哲学者:竹田青嗣といえば、子ども向けの『はじめての哲学』という分かりやすい本の著者である。なるほど、師の薫陶を受けて分かりやすい本を書くことに努めているのだなと思う。本書をざっと通読した後、ネット検索すると、師:竹田と兄弟子:苫野一徳との対談(2014年 7月12日、リブロ池袋本店にて開催されたトークイベント)をみつけた。7ページにわたるその内容を見ると、本書の論議とたいへん似ている。その主張から言ってもやはり竹田の弟子筋であると分かる。以下、その対談から抜粋してみる。だからと言って、本書が無意味となるわけではない。対談をより、充実させたものとも言える。 《哲学は、後の哲学者が、前の哲学者の原理を受けて、これをもっと普遍的なものに前進させていくゲームです。ヨーロッパ哲学はそうなっている。 / そうした原理をさらに吟味して強力で普遍的なものにしていくリレーが、近代哲学では続いた。でも、そういう営みが、いまは世界中で埋もれてしまってる。 / 原理がないということが本当にわかると、私たちははじめて次の考え方を出そうとして努力します。原理がない場合は、それをはっきりさせることが哲学の重要な役割なんです。 / 哲学というのは、物事の、あるいは問題の「本質」を洞察することで、じゃあその問題をどう解けるかという考え方、つまり「原理」を出すものだ / こうした考え方がなければ、手すりなき、地図なき社会論になるんですね。そうした「本質」「原理」を、現代の哲学者はもっともっと追いつめて考えないといけない。 / ただ、哲学の原理は、基本的に長いスパンで考えないといけない。 / 「原理」って聞くと、絶対の真理とか、あるいは原理主義みたいなイメージをしちゃうんですが、哲学でいう「原理」っていうのは、全然違います。それは、できるだけみんなが、「なるほどそうだ」って言える「考え方」のことなんですね。だから、原理主義とはむしろ正反対で、「これが真理だ」と強弁するんじゃなくて、哲学の言う「原理」っていうのは、みんなの納得が得られてはじめて「原理」と呼べるんです》。 http://timesphilosophy.blogspot.com/#!/2014/08/blog-post.html 本書「はじめに」で、著者は次のように記す。「過去の哲学者たちが、それぞれの時代の問題に対し、どのように立ちむかったのか、その点を踏まえたうえで、哲学の根幹をなす思考の原理をつかみ、私たち自身の問題に取り組むための方法を洞察すること。ここに哲学を学ぶことの重要な意味がある。 / 哲学は、いわば思考のリレーである。時代のうちで、より誰もが納得できる考えを導くべく試みてきた、哲学者たちの努力の軌跡である。その過程で生み出された方法を用いて、現代の問題に取り組むこと、この点に、私たちがいま哲学を学ぶことの意味がある。 / 哲学の歴史は、本質をめぐる論議の歴史であり、哲学の難しさは、本質を論じることの難しさと深く関わっている。本質を適切に論じる方法をつかむことができれば、哲学の意味や目的、哲学的思考の意義や可能性を深く了解することができる。そのとき私たちは、過去の哲学に頼らず、自分たちで考える力を手にしたといえるはずだ。本書が、そうした力を身につけるための一つの助けとなれば幸いである。」
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