かつて私には話し相手がいました。私の言葉には聞き手がいました。
私が口を開けば聞き手となる相手、がいるときに、私は話すということをしました。
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私は私の話し相手をすることにしました。話しかける相手、問う相手が、私の言葉には必要だったからです。
考えるという行為とは、私にとって、本来話しかける誰かがいない状況における暫定的な担保なのだと、私は気付きました。
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ひとりでいる時に、私はよく寒いと思いました。しかしまた、その時期には、本当に寒い季節が幾度となくありました。ひとりだから寒いのか、寒いからひとりになるのか、私には分かりませんでした。
寒い時に私は「寒い。寒いよなー。寒いよね」とよく思いました。この言葉に返事をしてくれる人は周囲にいませんでした。周囲にいたならきっと、私はその通りに話していたと思います。
その発声の有無に拘わらず、私が言葉を使うとは、全て社会的関係の下にありました。社会的があることがいやなら、それまでのように、しゃべらなければよいのです。頭の中でも、心の内でも。
これはけして正しい人間の姿ではない、と分かりながら、私は、私が私に応じる姿をひとにみせることを始めました。
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