<王が客を見ようと入って来ると、婚礼の礼服を着ていない者が一人いた。王は「友よ、どうして礼服を着ないでここに入って来たのか」と言った。(11.12節)> 主イエスは宮清めを行った翌日、エルサレム神殿の境内で教えておららえた。そこへ、祭司長や民の長老たちが来て、権威について主イエスに詰問した。主イエスはそれに対して、彼らに悔い改めを求めて、「二人の息子」「ぶどう園と農夫」そして今日の個所の「婚宴」のたとえ話をされた。 主イエスの譬えはイスラエルの人々が親しく知っている話によって、もう一方の神の国、すなわち神の支配を示すものである。 主イエスは「天の国は(1節)」と話出され、神が王として支配されるというその支配は「王が王子のために婚宴を催したのに似ている。」と続けられる。先ごろの英国王家の婚宴を想像してしまう。 王は招いておいた人々を呼ばせたが、彼らが来なかったので、「食事の用意が整いました」と言ってもう一度家来を送ったが、彼らはそれを無視し、またある者は王の家来を捕まえて乱暴し殺してしまった。そこで王は軍隊を送り、彼らを滅ぼし、その町を焼き払った。 K牧師は「『すっかり用意が出来ました。』というのは罪を贖う事と密接に関係しています。主イエスはこの譬えを話された週の金曜日に十字架に架かられました。そして、私たちの罪が取り除かれ神との正しい交わりが打ち立てられるばかりになっている。と言われ、私たちを招いて下さっているのです。」と説かれた。 人々はそれを無視し、その結果厳しい王の制裁に遭うことになる。しかし、それでもなお王子の婚宴は中断されなかった。王は家来に、通りに出て誰でも見かけた者を連れてくるようにと命じられた。善人も悪人もみな集められ、婚宴は客でいっぱいになった。 最初の主の招きを拒んだ者たちはユダヤの指導者たちのことだとすると、善人は律法に従って生きている者、悪人は律法を守ることの出来ない仕事や病を持ち、汚れた者とされている人々の事だろう。とにかく誰でも彼でも天の国に招待された。 王が婚席を見渡されると、礼服を着ていない者が一人いた。婚宴用礼服は花婿の父が準備するものであった。王は「友よ」と呼びかけられ、彼が礼服を着用していない理由を尋ねられたが彼は黙っていた。礼服着用を拒んだのは婚宴を軽んじたことだと判断された。 婚宴で与えられる礼服は、主イエスにおける神の救いを指している。礼服を拒み婚宴を侮辱したものは、神の救いを拒絶したことになる。彼は「この手足を縛って、外の暗闇に放り出される(13節)」惨めな末路を迎えることになった。 「神の国の祝福に招かれた私どもにとって、その婚宴の礼服は何を意味するのでしょうか。主は福音宣教をお始めになった時から『神の国は近づいた、悔い改め福音を信じなさい(マルコ書1章)』とお教えになりました。私どもに求められている神の国への招きに応える備えとは、悔い改めて福音を信じる信仰以外にありません」と久保牧師は結ばれる。 礼拝はまさに神が招いてくださる婚宴なのだと、それを時々拒んで忘れていないかと、反省した。 日曜日はお近くの教会でhttp://komatsu.church/index2.html礼拝を、どなたでもどうぞ、お待ちしています。
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