伊集院光か何かがテレビで、最初の読書体験ってどうしても学校の教科書になってしまっていて、読書というと身構えることが前提になってしまっているようなことを言っていた気がする。伊集院光かどうかはどちらでもいいにしても、文学作品に出合うという点では確かに国語の教科書になってしまうのだろうと思う。 それだけに短い文章を精読するという前提が習性に刻まれている気がして、そういう読み方しかしていなかった自分としては、長い間長文を読むのが苦手だった。そもそも集中力がないという事もあったし、やっぱり一文一文考えて読むという癖がついてしまうと、ちょっとでも引っかかるところがあると容易に先に進めなくなってしまったりしていた。 大体学校の国語の文章というのは、大きくなればなるほど抜粋が多くなり、全体を読むようなものではなくなってしまう事も多い。ただ短編だけを読んでいるとやっぱり背景の厚みが出てこないから面白いところまで行かなかったりする。とはいえ、原作を読んでみようという気にはならなかったし、どうしても勉強の延長線上で読まざるを得なかったから堅苦しいものとなってはいた。 正直、児童の間は国語以外で文学めいたものを読んだことはなかった。児童書の類で絵本ではない活字のものがいくつかはあったけれど、そんなに興味を引くものではなかった。やっぱり活字を読むという行為は勉強の延長だと思ってしまうところがまずかったらしい。今では勉強だろうが何だろうが興味を引けば読むのだが、精読する癖が抜けなくて本を読むスピードが上がらないし、割とすぐに飽きてしまう。 マンガはすんなり読めるときはあるのだが、読めない時は文学とかと同じように読めない。確かに絵でわかりやすいというのはあるのだが、そもそも情報が入ってほしくない時ってのがあるのだ。だから、テレビをつけておくのも鬱陶しい時も割とあって、この時期ってのは何なんだろうなと思ったりしていたし今でもそう思う。そういう時に限って嫌な事を思い出すのだが、楽しい事って大抵思い出せない。 遅読者でもたくさん読める、という本を買ってもみたのだが、小説などが速く読めるとかそういうのじゃなくて、実用書を月に数十冊も読むというメソッドが書かれているだけのがあって失望した。いや、あなたのブックレビューの書く方法じゃなくて、文芸書とかを読む事を速くしたいのですよ。結局、特殊な方法でも使わない限りはそうそう早く小説などを読む事はかなわないのだと思ったりします。

遅読家のための読書術――情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣
- 作者: 印南 敦史
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
- 発売日: 2016/02/26
- メディア: 単行本(ソフトカバー)







