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マタイによる福音書 13章24~30節

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<イエスは、別のたとえを持ち出して言われた。「天の国は次のようにたとえられる。ある人が良い種を畑に蒔いた。人々が眠っている間に、敵が来て、麦の中に毒麦を蒔いて行った。」 (24.25節)>  T牧師は「『御言葉を聞いて悟る』というのは、知性を犠牲にして信じるのではありません。『悟る』という知性の働きをも用いるのです。知性は、聖霊によって照らし出され、御言葉を聞いて悟るように用いられます。」と最初に話された。 礼拝ごとに御言葉の解き明かしを受け、良くわかったつもりだが、後で思い出せなかったり、人と話して全くそれが間違った理解であったりする。うっかりと聞き逃すことも多い。 「そんな風に、私たちが聞くことに失敗するからと言って、主は救いの御言葉を語ることをお止めになりません。私たちは御言葉を聞いて悟ることへと繰り返しチャレンジするよう押し出されるのです。」とT牧師は続けられた。 今日のたとえは、最初に「天の国は次のようにたとえられる」と話される。「天の国」は、地上の国を越えたどこかにある理想郷とか永遠の国とか、ましてや死んでから行く所といったものではない。主イエスが、この世においてダイナミックに働かれるものである。 「ある人が良い種を地に蒔いた」主イエスが、この世界に良い種をまいて下さり、救いと恵みの御支配を始めて下さった。「その種は豊かな実りを結ぶことが約束されています。私たちはそのことを信じて、神の国の福音にお仕えしてゆきます。」と山下牧師は説かれる。 しかし、その良い種が蒔かれた地に「人々が眠っている間に(25節)」敵が毒麦の種を蒔いていった。敵の意図は記されず、ただ畑の主人に敵対し、麦の成長を妨害する事実だけが記されている。彼が何故そのようなことをするのか、それが人間の知識ではわからないように、信仰に背を向ける人の理由も、その人格や環境、などで説明できるものではない。 今すぐに、毒麦を引き抜きましょうかという僕の提案に「刈り入れまで、両方とも育つようにしておきなさい。」と畑の主人は命じた。 T牧師は「実りの時を迎えた麦畑には、麦も毒麦も穂を垂れて刈り入れを待っています。よく考えると、私たちの心にも、麦と毒麦が育っていませんか。信仰と不信仰の両方が一人の人間の中にあるように思うのです。またこの時の弟子集団もそうでした。」と言われた。 毒麦を引き抜く時、根が絡み合ってよい麦まで引き抜いてしまう。T牧師の説に従うと、自分の中に育つ毒麦も、無理に引き抜くと自分自身が駄目になるらしい。弟子たちの中の毒麦もそのままにされている。麦への配慮のため、毒麦が当分の間、容認される、 「最後の審判の時に、毒麦は焼かれ、収穫された麦は御国の倉に納められるのです。そのことを信じて種を蒔き続けることが、私たちの務めです。」と山下牧師は結ばれる。 日曜日はお近くの教会でhttp://komatsu.church/index2.html礼拝を、どなたでもどうぞ、お待ちしています。

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