金融ワンワールド明治維新の極秘計画南北朝こそ日本の機密国際ウラ天皇と数理系シャーマン
飯山一郎氏が「明治天皇『すり替え説』の真相は この本で!」ということで、落合莞爾氏の四部作を紹介された。私も切実な関心を持ってまもなく4冊目を読み終えるところだ。先ほど全体を要約してあると思われるところを読んだばかりだった。「『明治天皇落胤説』は虚伝である」の項。以下その部分。
《・・・(堀川辰吉郎が明治天皇の落胤であるという)この虚伝は、「明治維新で南朝を復元するために、睦仁親王が大室天皇に入れ替わった」とする南朝革命説に発したものと観られます。
「大室天皇交替説」そのものは、歴史教科書には載らないものの、間違いなく歴史上の真実ですが、その真の意味は世上の「南朝革命説」の説くようなものではないのです。・・・明治維新を機に孝明天皇が堀川御所に京都皇統を立て、国體(国体)天皇として外事を専管することとなりました。同時に、大塔宮末裔の大室寅之祐が東京皇居に入り、政体天皇(明治天皇)として内政を担うという、国事を分担するための天皇交替だったのです。
伏見宮家から出た朝彦は、俗親王の宮号を中川宮から賀陽宮に変え、維新後に久邇宮家を新しく建てた目的は維新後の伏見殿の在り方を変えるためと聞きます。国際ウラ天皇の役割を、維新後に京都皇統に引き渡した伏見殿が、以後どんな役割を担ったのか、具体的に知る由もありません。
しかしながら、「堀川戦略」の究極の目的は「国體の護持」にあります。そのために堀川御所で京都皇統を秘かに建てたのですから、伏見殿の役割を引き継ぐ堀川辰吉郎は京都皇統から出る道理はないのです。
「その筋」を除く日本国民のほぼ全員がこれまで信じていたのは、崇光天皇以来、孝明天皇までの皇統が持明院統すなわち北朝皇統であるということで、かく言う私もこれを信じていました。・・・
その後に「その筋」が明かしてくれた秘史は、建武元(1334)年に南北両首脳の合意で両統が秘密統合された崇光天皇の後に後光厳→後円融→後小松→称光の「新北朝」の四代が続きますが称光に継嗣がなく、崇光の曾孫後花園が継ぐことによって遂に皇統を一本化したことです。・・・》(『国際ウラ天皇と数理系シャーマン―落合秘史[2]』p289-290)
古来日本には世界全体を視野に収めながら、日本が日本として進み行くべき道を切り開く確固とした意志が存在する。その意志が南北朝という皇統分裂の危機を救った。時代を経て1815(文化12)年の神聖同盟の成立は、その意志にとっていずれ日本もその中に組み入れられてゆかざるをえないと考えられた。そのことは、たえず国際間の対立に巻き込まれ、国内にもその対立が持ちこまれることを意味する。それを救うために考えられたのが「堀川戦略」であった。すなわち今後来るべき国際的(金融的)な激流に対処するために、いわばウラの皇統を建てておくということだ。その戦略に乗って登場したのが大室天皇であった。南朝の流れを汲む大室寅之祐を表に出し、孝明天皇、睦仁親王は殺されたかの様にも思わせつつ、実はウラの皇統に回って国際的金融的激動に対処してゆくべき流れをつくったのだ。堀川辰吉郎は睦仁の子であり、ウラの流れの中でその役割を果たした。
荒唐無稽ともとられかねないが、とにかくこの四部作は、私にとっては切実な問題に解決を与えてくれたのだった。そのことはあらためて書きます。