<しかし、憐れみ豊かな神は、わたしたちをこの上なく愛して下さり、その愛によって、罪のために死んでいたわたしたちをキリストと共に生かし、-あなたがたの救われたのは恵みによるのです。(4.5節)>
「明暗がはっきり分けられています。かつてと今そして未来が全く対照的に記されています。その転換点に立たれるお方が『憐れみ豊かな神』だということをパウロは読者に訴えます。」渡辺牧師はそう書き出される。
「天にまします我らの父よ」で始まる「主の祈り」は礼拝の中だけでなく、小さな集まりや祈りの言葉が整わない時などみんなで唱和する。礼拝の中でわたしたちの教会はもう一つ欠かさず唱和するのが「日本キリスト教会信仰の告白」である。
「我らが主と崇むる神の独子イエス・キリストは、真の神にして真の人、永遠なる神の経綸に従い・・・」に始まり、「いにしえの教会は聖書によりて左の告白文を造れり、我らもまた使徒的信仰の伝統に従い、讃美と感謝とをもってこれを共に告白す。」と前置きして
「我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独子我らの主イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりて身ごもられ、処女マリアより生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦難を受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、
三日目に死者の内より復活し、天に昇りて全能の父なる神の右に坐したもう。かしこより来りて、生ける者と死にたる者とを審き給わん。我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、体の復活、永遠の生命を信ず。」と唱和する。
18歳になったMさんは、生まれたばかりの時両親に抱かれて小児洗礼を受けたが、今年のクリスマスには自分の言葉で「主なる神を信じます」と「信仰告白」する。
洗礼(信仰告白)は、今までの自分とは全く違う新しいものに生まれかわる。パウロが言うように「肉の欲望の赴くままに生活し、肉や心の欲するままに行動していた」者が、キリストの十字架と共に死んで、キリスト・イエスによって共に復活に与ったものに変えられる。
だからもはや自分は以前の自分ではない。イエス・キリストにおいて新しく造られたから、肉に従って生きる歩みに再び戻ることはあり得ないのだ。
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