庭で咲いているニューフェイスの花は「ユリズイセン(百合水仙)」というらしい_φ( ̄^ ̄ )メモメモ 【昨日買った本&読んだ本】 久曾神昇(全訳注)『古今和歌集(一)』(講談社学術文庫,1979) ゲームの類はやらないので、くじやクイズを毎日コツコツやってギリギリまで頑張ったけど、流石に 全額ポイント払いとまではいかず、20円で注文^_^; 初めてのショップゆえ、少し不安はあったけど、 ヤケ程度で表紙カヴァーもキレイだし書き込みも無し(^^) 何故か新聞の切り抜きが挟まってた(@_@) 梅原猛「百人一語 23」(題字=中川一政)で、取り上げられてる言葉が正岡子規の「貫之は下手な 歌よみにて『古今集』はくだらぬ集に有之候」・・・ショップが挟んだのならブラック過ぎる(^。^;) 曰く、子規は「革命家」で、「革命というものは、伝統的権威を否定することである。短歌の世界に おいて、伝統的権威は『古今集』であった。」と(^^) ただ、〈彼の〝革命〟はまさに時代の要求で あった。明治三十一年という年は、日清戦争が終わって、三国干渉が行われ、日本人が切歯扼腕の 思いを味わった時代であった。強い国にならねばならぬ。それで「歌」も近代国家にふさわしい、 力強い歌であらねばならぬ。〉云々とある(@_@) でも、本書の「はしがき」で久曾神昇は「今でこそ 『万葉集』が和歌の王座を占めているが、それは近世中期以後のことであり、・・・」としてる(@_@) どちらの認識が正しいのか、あるいは両方とも誤りなのか、小生には分らぬ^_^; 1987年の臨時増刊 「図書」は「岩波文庫創刊60年記念」として「私の三冊」という特集号だが、同誌で杉本秀太郎だけ 古今集を選んでて、そのコメントは「子規の『古今集』大批判以来、日本の精神風土は万葉、万葉の 喚声に圧倒されて今におよんでいます。残念、残念。私は万葉ぎらいの古今びいきです。但し、正岡 子規は大好き。」^_^; 実際、同誌で万葉集を挙げている方が12人もいて「圧倒されて」るね(゚ロ゚;) みどりんの大好きな新古今集はゼロ(;_;) なお、本書は第二巻が出るまで3年もかかったんだな(@_@) 今日も蒸し暑いぞなもし(+_+) 前と別の方だが褒めたコメントなのに消されたから閲覧も止めた(..)
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