ど~も。ヴィトゲンシュタインです。
ジェフレー・ジュークス著の「クルスク大戦車戦」を読破しました。
このタイトルの本を読むのは3冊目で、最初は小説、2冊目は朝日ソノラマ、
今回は1972年の第二次世界大戦ブックスです。
著者は1月に紹介した「モスクワ攻防戦 -ドイツ軍クレムリンに迫る-」と同じ方で、
アレはちょっとソ連軍寄りでしたね。
まずはこのクルスクが大戦車戦の主戦場になった経緯から。
「スターリングラードでの大勝利の直後、ソ連軍が楽観しすぎた結果、生まれた産物であった」と
1942年11月からの独ソ戦を振り返ります。
出てくる写真もヴォロネジ方面軍司令官のゴリコフと、南西方面軍のバトゥーチンからで、
窮地に陥ったドイツ軍をドン軍集団司令官に任命されたマンシュタインが撤退と
その後のハリコフ奪還作戦をヒトラーに進言します。
見事、ハリコフとベルゴルドを奪還したマンシュタインは、次の段階として
この攻勢をクルスクに向けて継続し、中央軍集団の第2装甲軍はオリョールから南進、
南から北進するマンシュタインの部隊と手を握ろうと計画しますが、
「不敗の英雄ジューコフ元帥」が呼び寄せられ、応急対策が・・。
こうして春の雪解けがはじまって、クルスクに対する攻撃はお預けになるのでした。
この第2章は「ジューコフ対マンシュタイン」という章タイトルですが、
ジューコフの回想録もプレミア価格、マンシュタインの回想録も高いですし、
戦っていない「パットン対ロンメル」って本もあるくらいですから、
「ジューコフ対マンシュタイン」って本があっても良さそうなモンですけどね。
ただ、今月末に「スターリンの将軍 ジューコフ」が白水社から出るようです。
白水社のHPでは「新資料により公正に描いた評伝の決定版!」と猛アピール。。
418ページで、3780円。悩むなぁ。
ソ連がほとんどT-34とKV戦車の2種類のみを生産し、
T-34に至っては月産1000両に達しているのに
ドイツ軍戦車といえば種類は豊富なものの、最新のティーガーが月産25両。
T-34のコピーともいえるパンターの生産も始まりますが、大量生産には程遠い状態。
そこで隠居生活を送っていたグデーリアンが装甲兵総監として復活。
本書では「ポルシェ博士のような狂気の科学者がムチャなアイデアを売り込んだり・・」や、
「軍需相であった無能なトート博士が飛行機事故で死亡・・」など、結構、辛辣ですね。
第二次世界大戦ブックスは20冊ほど読んでいますが、
「ドイツ装甲軍団―グデーリアン将軍の戦車電撃戦」を読み忘れていました。
1943年4月15日、「ツィタデレ作戦」が起案されますが、開始日時は未定のまま・・。
マンシュタインの南方軍集団は、ホトの第4装甲軍とケンプフ作戦集団(ケンプフ軍支隊)、
クルーゲの中央軍集団はモーデルの第9軍がクルスク突出部を切り取るハサミになります。
しかしティーガーにパンター、そしてフェルディナンドといった新型戦車を
大量に使用したいヒトラーは、なかなか作戦開始を決定できません。
対するソ連軍はそのスキに深さ180㌔にも及ぶ縦深防御陣地を構築。
ツィタデレの情報を流した「スパイ・ルーシー」こと、ルドルフ・レスラーが写真付きで登場すると、
なぜかシェレンベルクも写真で紹介され、「ルーシーの一味」とキャプションが・・。
本文には出てこないシェレンベルクなんですが、コレはなんなんでしょうね。
しかも有名な ↓ ニヤけた写真が使われています。。
結局、7月4日までずれ込んだツィタデレ作戦の開始。
いまや時すでに遅しと考えるマンシュタインと、作戦反対派のグデーリアンですが、
クルーゲは作戦実施を望みます。
その理由は、異常なまでに仲の悪いグデーリアンが反対しているからというもの。。
北部の攻撃を担当する第9軍のモーデルは、装甲部隊を突入させるための突破口を開くのに、
歩兵と砲兵の攻撃による昔ながらの戦法をとりますが、
強力な装甲部隊の代わりをするだけの砲兵力を持っていなかったために苦境に追い込まれます。
一方、南部はマンシュタインの配下の第4装甲軍のホト自身が有名な装甲部隊指揮官であり、
1人のドイツ軍司令官に任されたものとしては、最大の数の装甲師団を与えられます。
第3、第6、第7、第19の各装甲師団に、精鋭グロースドイッチュランド装甲師団、
ライプシュタンダルテ、ダス・ライヒ、トーテンコップから成る、強力な第2SS装甲軍団も。
しかももう一つの戦車大部隊であるケンプフ作戦集団がベルゴルドの南に位置していたことから
ヴォロネジ方面軍のバトゥーチンは、どちらが主攻撃なのかと判断に苦しみます。
そんなこんなで有名な「プロホロフカ戦車戦」も、写真と戦況図を用いて進みます。
第48装甲軍団長のクノーベルスドルフや第2SS装甲軍団長のハウサーも登場。
ソ連軍もカツコフの第1戦車軍に、ロトミストロフの第5親衛戦車軍などが・・。
読んでいて、つい独ソ戦をボクシングに例えてみたくなりました。
1941年の初戦は、第1ラウンドからヒトラーのバルバロッサ・パンチの猛ラッシュで
スターリンはダウン寸前。しかし力を振り絞ったタイフーン・パンチの打ち疲れたヒトラーに
温存していたシベリアン・ブローでスターリンが反撃してドロー。
1942年のリターンマッチはスターリンの攻勢から始まりますが、
"青"・コーナー、ヒトラーのブラウ・カウンターがヒット。
脚を使ったスターリンのアウトボクシングも"赤"・コーナーに追い詰められますが、
第9ラウンドに起死回生の天王星パンチが炸裂して、一転、フラフラとなったヒトラー。
トドメの火星パンチをなんとか防ぎ、必死に繰り出す冬の嵐パンチは凌がれたものの、
マンシュタイン・バックハンドブローが見事に決まって、またも引き分け・・。
そして迎えた1943年の夏、3度目の試合。
鍛え上げた左右のパンチでぶちのめそうとするヒトラーに対し、
今度はガッチリ守ってカウンター狙いのスターリン。
左のモーデル・ジャブは完全にガードされますが、強烈な右のホト・ストレート、
そしてケンプフ・フックは的確に捉えます。
しかしスターリンも狙い通りのステップ・カウンターを合わせて、互角の激しい打ち合いが・・。
と、まぁ、プロホロフカ戦車戦まではこんな感じでしょうか。。
7月13日、ヒトラーに呼び出されたクルーゲとマンシュタイン。
連合軍がシチリアに上陸し、ツィタデレ作戦も北部でのソ連の反撃が始まったのです。
グデーリアンが嫌いとかいう理由で、やる気満々だったクルーゲも
自分の戦線に大穴が空いたいま、「作戦は中止しなければ」と意見しますが、
互角の戦闘を続けている南部では、ソ連側の損害は甚大であると判断して、
「このまま続行すべき」と意見する強気のマンシュタイン。
ロコソフスキーの中央方面軍だけでなく、ソコロフスキーの西部方面軍、
ポポフのブリャンスク方面軍の反撃を受けるドイツ軍ですが、
ここにきて「防御の達人」であるモーデルが本領を発揮します。
8月の前半いっぱいをかけて、オリョールから第9軍と第2装甲軍を整然と撤退させたモーデル。
スターリングラードのような悲劇は起こらなかったものの、
14個師団に相当する兵力を失い、ドイツ軍にはもはやこのような大損害を
補充する力は残っていないのです。
南部でもソ連の攻勢によってベルゴルドを明け渡し、再び、ハリコフ争奪戦へ。
「なんとしてもハリコフは保持せよ」と厳命するヒトラーと対立するマンシュタイン。
参謀総長のツァイツラーが司令部にやって来ると、「お説教」する軍集団司令官。
「統帥部はもはや、どの師団が抽出できるとか、クバンの橋頭堡が保持できるかという、
個々の問題に首を突っ込む時期ではない。もっと大きな問題を考えるべきだ。
ソ連軍はわが軍の南翼を撃滅しようとしているのだ」。
前にも参謀総長のハルダー大将に向かって、軍集団司令官のフォン・ボック上級大将が
「きみ」呼ばわりで意見する・・という話がありましたが、
ツァイツラー大将とマンシュタイン元帥だと、同じパターンなんでしょうね。
参謀総長といえど、ヒトラーだけでなく、口うるさ型の元帥がいっぱいで大変そう。。
9月にはドニエプル川にかかる橋梁を目指して、ドイツ軍とソ連軍の競争が始まります。
800㌔もの正面に展開している軍隊をわずか5ヶ所の橋梁で川を渡らせ、
今度は川の西岸に沿って650㌔の正面に再展開させるのがマンシュタインの仕事です。
こうして11月、キエフがソ連軍の手によって解放されたところで本書は終了。
1942年11月のスターリングラード包囲から始まって、第三次ハリコフの戦いを経て、
クルスク突出部が誕生。
メインの「クルスクの戦い」から、キエフ奪還までが書かれた本書。
後半のドニエプル川まで撤退するドイツ軍と怒涛の進撃を見せるソ連軍の場面では、
パウル・カレルの「焦土作戦」を思い出しました。
実際、あの本も同じような展開であり、そういった意味では、
204ページ本書はクルスク戦というよりも、焦土作戦のダイジェスト版とも言えそうです。
ただ、戦域が大きいですし、登場するソ連の各軍や将軍たちの数を考慮すると、
このボリュームではとても網羅しきれていない印象も持ちました。
歴史の「IF」として、もしクルスク戦でドイツ軍が勝っていたら?? というのがありますが、
やっぱり戦車を含めた膨大な戦力を独ソ共に消耗し、
単に突出部が消えて、戦線がまっ平らになっただけで、再度、睨み合い・・、
というヤツを支持します。
しかし、もし1941年の冬にモスクワが陥落していたら??というのになると、これが難しい。。
前年のフランス政府もパリからボルドー、あるいはロンドンに逃げて・・ですし、
ギリギリまでクレムリンに留まっていたスターリンがどうしたかを推測することになります。
むざむざドイツ軍に捕えられたり、ヒトラーみたく自殺するような人間とはとても思えない。
これは開戦当初にスターリンが打ちひしがれて別荘に引き籠ったというのを
その通りに考えるか・・によると思います。
個人的にアレは、書記長で首相という政治家としては確かに失敗したと認め、
けれども最高司令官として新任されるためのポーズであった・・という説を取ります。
ですから、スターリンとしては、敵はヒトラーではなく、側近と赤軍を含む内部にあり、
和平を目論む連中のクーデター(スターリン粛清)を一番恐れていたんじゃないでしょうか。
グルジア出身だし、若いころに何度もシベリア送りを経験しているだけに、
ドイツ軍から逃れるためには、いくらでも東に行ったでしょうし、
そのような段取りも考えたうえで、モスクワに踏みとどまるポーズをしていたと思うのです。
結局、ドイツ軍にモスクワを占領されたとしても、
側近たちの信任を得ている間は、ウラル山脈の向こうからでも徹底抗戦したと思いますし、
逆にドアを蹴破れば、ソ連は崩壊するだろうと語っていたように、ヒトラーとしては
共産党の内部分裂と、赤軍、またはソ連市民の反乱が起こることによって、
スターリンを失脚させ、その後、和平を結ぼう・・と期待していたのではないでしょうか。
もちろん、モスクワが占領されたという事実によって、
これらが引き起こされることもありますが・・。
スターリンがロンドンで亡命政府を・・なんてことになったら笑いますけど。。
と、こんな妄想には答えはないのがわかっていますが、
とりあえず、「モスクワ攻防戦―20世紀を決した史上最大の戦闘」購入しました。
寒くなってきましたから、コレを読むにはもってこいですね。
ちなみに今日は11月19日。
1942年にはスターリングラードで「天王星作戦」が発動された日です。
それから25年後、ヴィトゲンシュタインが生まれたのでした。
↧