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資本主義の「終わりの始まり」 ギリシャ、イタリアで起きていること

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資本主義の「終わりの始まり」: ギリシャ、イタリアで起きていること (新潮選書)

藤原章生/著
出版社名 : 新潮社(新潮選書)
出版年月 : 2012年11月
ISBNコード : 978-4-10-603719-1
税込価格 : 1,365円
頁数・縦 : 255p・20cm


 ギリシャの映画監督であるアンゲロプロスが残した「扉を開こう」という言葉。その意味について、ギリシャ、イタリアなど、多くの人々への取材を通して解き明かしていく。

【目次】
第1章 アンゲロプロスが遺した言葉
第2章 危機の中の緩く、もの悲しいギリシャ
第3章 捨てられた首相
第4章 福島の影響
第5章 「扉」の手前で何かが動き出した
第6章 「扉」の向こう側
第7章 家族、コミュニティーの復活
第8章 資本主義の危機
第9章 イタリア、ギリシャとつながる福島

【著者】
藤原 章生 (フジワラ アキオ)
 1961年生まれ。北海道大学工学部卒業後、住友金属鉱山の技師を経て毎日新聞記者。アフリカ特派員、メキシコ市支局長の後、2008~12年、ローマ支局長。『絵はがきにされた少年』(集英社)で第3回開高健ノンフィクション賞を受賞。

【抜書】
●扉は開く(p21)
 テオ・アンゲロプロス、ギリシャの映画監督の言葉。
〔 とにかく、問題は経済というものさしが、政治も倫理も美学もすべてのことを決めてしまう物語(歴史)の中に私たちが生きているということだ。ここから解放されよう。扉を開こう。それが唯一の解決策だ。今の世代で始め、次の世代へと。
 経済取引が第一原則ではなく、人間同士の交わりこそがすべての基本となるような世界を、私たちは想像できるだろうか……。〕

●距離の違い(p25)
 レオナルド・ベケッティ、イタリアの経済学者。
 匿名性と市場との関係。市場での人間関係はとても質が低い。社会的な距離の遠い相手との関係ほど、モラルが低くなる。

●政治危機(p80)
 今の政治のあり方に対する疑問は多かれ少なかれ世界中にある。今起きている危機は「債務危機」と呼ばれるが、これもアンゲロプロスの言う通り、「政治危機」なのではないか。未来への羅針盤を示すことのできる政治がどこにもないから、経済の問題が一向に解決しない。

●仲間とのつながり(p121)
 ジャンフランコ・マシア……1961年生まれ。「ノーBデー」(ベルルスコーニのいない日)の提唱者。(p109)
〔「以前は、やはり例えば平和主義といった、主義、思想が人々を集め、仲間をつくりデモをするという流れだった。それが今では、もっと感覚的なものになっている。友人や仲間たちが何かを始めるというから、じゃあ俺も行ってみるかという感じ。だから『平和主義』がきっかけになるというより、仲間とのつながりがまず前提にあって、結果的に彼らの求めるものを共有するようになるという流れだ。
 デモも含めて、若者たちはリーダーを嫌う。リーダー格が出てくるのを端から拒否している。僕の場合もそう。僕は僕であって、別にリーダーじゃない。ただ集会になると、誰かがしゃべれば、それに参加者が共感すると。そういう感じだね」〕

●精神的価値観(p128)
 エルネスト・ガッリ・デッラ・ロッジャ……気鋭の歴史学者。「イタリアはすでに死んでいる」。(p124)
〔 金や物などを約束してきた政治家たちは、これから、それができない代わりに精神的なもの、価値観を約束する時代になるだろう。発展した国ほど、物や富でないものに重きを置くようにならざるを得ない。環境汚染や公害問題、遺伝子組み換え、異性間関係のあり方などが、政治家が語る政策になっていくだろう。
 これがいま見える近未来の姿だ。イタリアはそういう面では、危機のおかげで欧州を立て直すという役割の中ではかなり特殊な位置にいる」〕

●南の思想(p151)
 フランコ・カッサーノ……イタリア南部のバーリに暮らす社会学者。『南の思想 地中海的思考への誘い』(1996年、邦訳は2006年)。
 〔「『南の思想』というのは、一つの手法、言わばバランスの支点なんだ。私に言わせれば、地中海そのものに『バランス』、つまりいい具合に、適度に均衡をとるという考え方が浸透している。地中海は文字通り『地の中にある海』という意味で、ドイツやロシアなど内陸部分が大半を占める地域とは明らかに違う。海が陸に細かく複雑に入り込んでいて、大陸、広大な平野とは、全く違う世界を指している。
 地中海圏では沿岸部の陸と陸がとても近いから、陸路よりも船で向こう側の岸にたどり着く方が速いこともある。つまり、地中海圏の人間には常に二つの方向性をバランスさせる感覚が育まれてきたんだ。これは単に地理的なバランスということだけでなく、精神的なバランスとして、民族性、国民性など人々の性質に強い影響を与えてきた。
 広大な内陸では、人々のアイデンティティーと社会は力強く結びついている。だが、地中海人にとって海は、自由への大いなる誘いであり、海とは旅立ちの思想、地を捨て、向こう側へと向かい、そこから豊かな物語と異文化の経験を持ち帰る“経由地”を意味する。ギリシャは哲学の揺り籠でもあったが、同時に哲学が追い求める真実が海によって危機にさらされる場でもあった。海の向こうにあらゆる異なる世界、よその物語、よその文化があることをいやでも知らされてきた。そして、世界とは実に豊穣であり、自分の国だけがすべてではないという感覚を人々に植えつけた。〕
 〔生れついた一つの集団に属しながらも、自分はそこから常に自由でいられる。海は地とは正反対で、人が海に放り出されればそれまでの生き方もルールも失い、地にいたときに社会が支えてくれた勇気も失せてしまう。
 地の世界では、『我々』という概念が育まれ、海の世界では、『私一人』が生まれる。つまり地と海のバランスとは、『我々』と『私』のバランスを意味する。みなが一緒にあることと、みなから自由になり一人になるというバランス感覚だ。
 海に放たれれば何かに守られている時間はなくなり、何もかもが自分の責任、自分のせいとなる。
 地の世界は、自分がそこにつながり囚われる共同体、社会を意味する。一方、海とは極めて普遍的な個人主義の世界であり、大衆のニヒリズムのようなもの。それはいまの自由市場、自由経済に重なる。そこには絶対的で一義的なものはない。
 だから地と海の対立を社会と経済の対立に置き換えることもできる。
 経済がその本来の意味の通り、人々の能力を伸ばすものだとすれば、それは人を守らなければならないはずだ。私たちはみな一個人であり、それぞれが違う能力を持っており、そこに競争があるのは当然だが、人々のつながりを解くようなことがあってはならない。なぜなら、社会には競争に加われない経済的弱者、老人や子どもたちがいるからだ。彼らを守ることを保証しなければならない。
 だから私が『南の思想』で打ち出した考えは、個人と集団、そして経済と社会のバランスを見出せということ。根のない個人、社会とのつながりのない個人とは実に危険なものだからだ」〕

●高速化(p156)
 フランコ・カッサーノ『南の思想』。
 ホモ・クーレンス(homo currens)……走り続ける人。
 〔現代世界で、人はとにかく走り続ける。走ることを求められ、常に人とネットでつながっていなくてはいられない。そんな新技術が私たちの生活や経験のスピートを速めてきた。これは、すでに技術をうまく抑えることも、バランスをとることもできなくなった近代化の特徴だ。
 だが、スピードが増すことで私たちは、自分たちの向かう先を考えるというとても貴重な経験さえ持てなくなった。大事なのは、この地上で、私たちとはあらゆる生のあり方のひとつにすぎず、そこにいるのは私たちだけではないということに気づくことだが、高速化の中ではこうした境地には至れない。
 高速化で過去も未来も失い、あるのは現在だけ。記憶もなくし、未来とのつながりも消え、自由も失う。だが、未来とのつながりはときに大いなる豊かさをもたらす。一人の自由と共同体はバランスさせなければならないのは当然だが、高速化によって私たちは未来が見えなくなってしまった」〕

●実体経済(p162)
 ジュゼッペ・リタ、ローマの社会学者。
 「市場の金融取引に頼った経済を次第に減らし、手づかみのできる実体経済に戻れ」
 実体経済……日ごろの人間関係、集団の関係で出来上がる経済。コンピュータを介した金融商品の取引、目に見えないクレジット(信用)でお金の動く経済ではない。

●自由(p179)
 ギジェルモ・アリアガ、メキシコの脚本家。映画「アモーレス・ペロス(犬の愛)」(1999年)で成功。
〔 僕らはいまとても薄っぺらな時代を生きている。物欲、そして若くあり続けることへの激しい衝動を抱え、死や老いをひた隠しにし、みなで退廃へと向かっている。未来に希望がない。価値観が変わり、価値自体も混乱し、モノだけが大事な時代になった。人が評価されるのは、その人の生きてきた歴史や人格ではなく、何を持っているかになった。でも、僕が若かったころは、富よりも何よりも、真っ先に大事だったのは、どこでも自由でいられるかということだった。
 いま人々はこの薄っぺらな時代を、自分の足元から少しずつ掘り下げようとしている。グローバル化に疲れた人々を中心に、古くからの価値、友愛や忠誠、連帯、援助、出会い、愛といったものを見直す時代が必ず来る」〕

●現在の40代(p232)
 あと10~20年すれば、今の40代が労働人口の最高齢層となる。その時、イタリア社会はどう変わっているか?
 イタリアの40代の気質……「テロの時代」「鉛の時代」に成長して思春期を過ごした。「自由に生きる」のを信条としている。
 いくら稼ぎが良くても、好きでもない仕事には就きたくない。非正規雇用で十分。終身雇用に背を向けてきた。
 何事もがつがつしていない。悲壮感がない。一応は前向きで明るい。
 親とも仲良くし、面倒もよく見る。
 結婚はしてみたいと思うが、このご時世ではそうもいかない。家族がいない分、学生時代からの延長のような付き合いが続いている。ネットなどを介した同世代の横のネットワークを大事にしている。
 徒党は組まない。政治で大騒ぎすることもない。
 趣味が高じて、ちょっとした手仕事などでわずかな稼ぎにつながることがままある。
 生産量、収入は極めて少ないが、虚無に陥ることなく、一人ひとり静かに何かをしている。
〔 アンゲロプロスが言う「扉」とは、イタリアの四十代のような生き方が次第に増え、大勢を占める時代に至ることではないかと私は思う。〕

(2013/5/30)KG

〈この本の詳細〉
honto: http://honto.jp/netstore/pd-book_25429131.html
e-hon: http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000032843484


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