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コリントの信徒への手紙1 13章6~7節

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<不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。(4.5節)> 昨日に続いてギリシャ語の意味からの解き明かしに耳を傾ける。「不義を喜ばず、真実を喜ぶ」から始める。「不義」は「悪事を働くこと、過ち、真理と相いれないもの。」真理に反していることはすべて不義になる。「真理」は神の御言葉であるとすると、御言葉に添わないものはすべて「不義」とされる。つまり、愛は真理を喜び、御言葉に反すること、つまり不義を喜ばない。 次の「愛はすべてを忍ぶ」は、この言葉を良く表されたものとして「…しかし、私たちはこの権利を用いませんでした。かえってキリストの福音を少しでも妨げてはならないと、すべてを耐え忍んでいます。(Ⅰコリント9章)」 パウロとバルナバは、主の使徒として福音を宣教することによって生計を立てる権利が与えられていた。そのために、コリントの信徒たちが2人を経済的に支えるべきだとパウロは思っている。しかし、人々が自らの労働によって対価を得ているのと同様、2人もテント職人として働いた。 彼らは、使徒としての 権利を用いず、人々が彼らのことを使徒として受け入れるまで、そのことによってかえってキリストの福音を妨げてはならないと、「すべてを耐え忍んでいます。(12節)」とパウロは言った。愛はすべてを耐え忍ぶからだと。 次は「愛はすべてを信じる」信じるという言葉は、新約聖書に246回登場する。聖書的には「信じる」というのは神が御言葉に表されたこと、また聖霊を通して顕示されたことを「信じる」ということである。だから、愛は神が聖書で言われたこと、聖霊を通して顕示されたことを信じる。 「愛はすべてを望む」。すべてのものの意味を理解するのに、神の御言葉全体から考える必要がある。信じること同様、私たちが期待すべきものは、御言葉が言われるすべて。愛は神が明かされている将来の現実に対する約束をすべて望むということ。解説書はもっとも望むことは「主の再来です。」と記している。少なくとも、自身の健康や、商売繁盛といった類ではない。 「愛はすべてに耐える」。ここで使われる「耐える」という言葉は、動詞「hupomeno」で、その意味は前述の「makrothumeo」(忍耐強い)と似ている。前者は、状況に対する人の反応、困難に直面した際の忍耐を意味するのに対して、後者は人の人に対する反応、間違いや他人からの挑発に報復することなく我慢強く耐えることを意味する。愛は困難の中でも弱まらず耐える。 「あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じようにしなさい。これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです。(コロサイの信徒への手紙3章)」 「愛の性質がこのように多くの否定形で説き進められるのは、私たちがいかに真の愛に欠けているかを物語るものです。この『愛は…です』という表現は、実は『愛の人は…です』と言い換えてもよい言葉です。愛は、共同体で生じるすべての圧力にも耐え、明らかに、我が身への不正は、ただ黙って耐える苦難の力です。」と河野牧師は結ばれる。 昨日今日の愛の定義を思うと、私たちの教会の今年の聖句「自分を愛するように隣人を愛しなさい」が重すぎて、とてもじゃないが実行不可能。 日曜日はお近くの教会で礼拝を http://komatsu.church/index2.htmlどなたでもどうぞお越しください。お待ちしています。


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