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コリントの信徒への手紙1 10章14~22節

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<いや、わたしが言おうとしているのは、偶像に献げる供え物は、神ではなく悪霊に献げている、という点なのです。わたしは、あなたがたに悪霊の仲間になってほしくありません。(20節)> 「『偶像なるものは現実には存在しない』という理屈で平然と偶像礼拝に参加していた人たちに、パウロは『悪霊の仲間になるな』と戒めています。悪霊の働きはわたしたちを神から引き離すことです。当時、偶像礼拝に参加していた人たちは自らの知恵を誇り、確かに神から離れていました。」と青木牧師は書き出される。 民数記25章「イスラエルがシティムに滞在していた時、民はモアブの娘たちに従って配信の行為をし始めた。娘たちは自分たちの神々に犠牲を献げる時に民を招き、民はその食事に加わった娘たちの神々を拝んだ。イスラエルはこうして、ペオルのバアルを慕ったので、主はイスラエルに対して憤られた。」 青木牧師は「他宗教の葬儀などに参加することは、故人や遺族への『愛の行い』になり得ますが、『神から離れる事にならないか』自分を誤魔化さずに吟味する必要があるでしょう。」と警告される。 偶像は形こそあれ、神の実態はないのだから、神でもなんでもなく、木片や金属片に過ぎないと、パウロは述べている。だから、それに献げる食物も、何の宗教的意味はないと思われる。しかし、人々は偶像に供えつつも、その背後にある『悪霊ども』に供えているのである事実を知らなければならないとパウロは説いた。 昔、ギリシャ・ローマ世界では、異教の神殿で宗教的な意味の食事をしていた。たとえば『主セラピスの食卓にあなたをお招きします』というような招待状が友人、知人に送られていたと言われている。パウロはこのような食卓を禁じたのである。 「偶像に献げる供え物は、神ではなく悪霊に献げている。・・・主の杯と悪霊の杯の両方を飲むことはできないし、主の食卓と悪霊の食卓の両方につくことはできません。(20.21節)」 敗戦前の日本では、天皇を神と崇める国家神道が「宗教ではなく、国家の儀礼」とされ、「国家や公の行事は国家神道で行うが、私生活、特に心の中では何を信じてもよろしい」とされていた。そして神社ではなく、軍隊や学校行事を通して、国家神道は国民に普及浸透していった。 ついには教会も「国家の儀礼」という誤魔化しに乗ってしまった。と青木牧師は説かれ、「今わたしたちは、国家の誤魔化しに警戒すると共に、自分を誤魔化さないよう心しなければなりません。」と警告されている。 レントの最中の礼拝も祈祷会も「ぺトロの否認」の個所が取り上げられた。大祭司の屋敷の女中が「あなたも弟子の一人だろう」と言い、火にあたるぺトロに男が「お前は…」と言った。さらに大祭司の僕もぺトロを「見た」と言った。ぺトロは三度とも「違う」と打ち消した。 ヨハネ書では三度の打消しの間に、「大祭司、イエスを尋問する」という個所が挿入されている。一睡もされていない主イエスが居丈高に尋問され、下役によって平手で打たれる。 「自分を誤魔化さないよう」という青木牧師の警告に重なり、ぺトロの惨めな否認は、自分の姿だと思う。でも、そのような弱い者を主イエスは変わらず愛し続けてくださることを新たに覚えた。 レントに入りました。イースターはお近くの教会で礼拝を http://komatsu.church/index2.htmlどなたでもどうぞお越しください。お待ちしています。


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