<このような者を、その肉が滅ぼされないようにサタンを引き渡したのです。それは主の日に彼の霊が救われるためです。(6節)> 「教会の仲間が罪を犯していることが明らかになった時、その教会の真価が問われます。その時にどう対処すべきかを、主はマタイ書18章15節以下で丁寧に教えて下さっています。その教えに反して、コリント教会の信徒たちは何もせずに放置していました。」と青木牧師は書き出される。 「兄弟があなたたちに罪を犯したなら、行って2人だけのところで忠告しなさい。言うことを聞き入れたら、兄弟を得たことになる。聞き入れなければ、ほかに1人か2人一緒に連れて行きなさい。…それでも、聞き入れなければ、教会に申し出なさい。教会のいうことも聞き入れないなら、その人を異邦人か徴税人と同様にみなしなさい。(マタイ書18章)」 コリントの教会で「ある人が父の妻をわがものとしているとのことです。それにもかかわらず、あなたがたは高ぶっているのか。むしろ悲しんで、こんなことをする者を自分たちの間から除外すべきではなかったのか。(1.2節)」と、パウロ自身が彼を裁いてしまっていると告げた。 教会はイエスを主と呼ぶ集団であるが、それから除名されるということは、サタンの支配する世界に引き渡されることになる。サタンに引き渡された結果、彼自身の「肉」が滅ぼされる。サタンに引き渡されることによってその人は苦難に遭う。この苦難は病気に罹ることか、あるいは死に至ることを意味していると解説書は記している。 しかし、それによって反省し神に立ち帰り彼の魂は救われるようになるのをパウロは願った。そして裁きの決定は、主イエスの名による会合によって、主の権威のもとに集まり、パウロの精神を受け入れながら、決定するようにとパウロは命じる。 わたしたちの教会では、牧師と選挙で選ばれた長老の会議を小会と呼び、「戒規」の該当者がいれば討議することになるだろうが、自分が教会に連なって以来「戒規」を受けた人はいない。「罪」を裁くのは、難しい。十戒の戒めに従うと、教会中罪人だらけになるねと、先日も皆で言い合った。 またパウロは「あなたがたが誇っているのは、よくない。わずかなパン種が練り粉全体を膨らませることを知らないのですか。」と、彼らの誇り高ぶりをパン種だと指摘した。イースト菌は少なくても全体に及ぼす影響が大きいので除くようにと命じた。その行為自体が悪いが、そのような行為を生みだした思想は、更に警戒するべきだと言った。 「七日の間、酵母を入れないパンを食べねばならない。七日目には主のためにお祈りする。酵母を入れないパンを七日間食べる。あなたのもとに酵母入りのパンがあってはならないし、あなたの領土のどこにも酵母があってはならない。(出エジプト13章)」ユダヤ人たちは、毎年過越祭の直前にパン種が入った生地をすべて捨ててしまう。 コリント教会の信徒たちは、「罪を罪とする」ことができず、「自分は既に救われている」者だと高ぶったままだった。それに対してパウロは「悲しんで」教会に責任を負う使徒として裁き、罪びとをサタンに引き渡しました。それは、サタンが支配することができるのは「肉」だけであり、「主の日に彼の霊が救われる」ことを確信してのことでしたと青木牧師は説かれている。 そして「罪を罪として明らかにするのは、ひとりも滅びることを望まない神の光にさらすためなのです。」と結ばれている。 教会員の中に首を傾げたくなるようなご利益信仰の人がいる。けれど、それでも機嫌よく礼拝を守っているんだから…。とそのままにしているが、やはり「それは違う」というべきなのだろうか。 レントに入りました。イースターはお近くの教会で礼拝を http://komatsu.church/index2.htmlどなたでもどうぞお越しください。お待ちしています。
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