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第九百七十話 会社職人の悲劇

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 会社職人の仕事をしてきて三十年。この世界ではもう長老に近いところで働いている。会社職にの仕事は大きく分けて三つ。人と会って油を売ることと、社内で判子をついて書類を作ること、それから夜になったらお店回りをする接待業務の三つだったが、最近では接待業務は流行遅れになって廃れてしまった。いまでは毎日油を売ることと、書類を作ること、このふたつを来る日も来る日も続けているのだ。はたから見れば簡単な仕事のようにみえるかもわからないが、やはり三十年を費やさないとなかなか職人として一人前とはいえない。

 書類をつくるためには、まず上質な紙を選び出さねばならない。選び抜かれた白い紙を細かい文字や数字でいっぱいにするのがたいへんだ。ミリ単位で並べられた文字の数々は、常人には信じられないほど緻密な作業によって成立するのだ。長年の努力と鍛錬によって、白い紙の上に墨色の文字が、ときには色のついた図表などが次々と端正に描かれていき、しかも短時間のうちに仕上げるのが職人技というものだ。できあがった書類には印をついて完成品とする。わたしはこうした書類を毎日二十枚以上は作り続けている。

 油を売るのは毎日ではない。人と会うのだから相手がいなければ成立しない。だが、アポイントメントと言って約束を取り付けることができたならさっそく出向いて、相手の事務所に乗り込む。事務所の応接室に通されたらもうこっちのものだ。できうる限り無駄話を続けて相手を釘づけにする。二時間でも三時間でも、相手の時間を出来うる限り長く奪い取ることが出来たなら半分以上成功だ。そうなると向こうも音を上げて、ついに持ち込んだ書類に判子をついてお買い上げになる。そうだ、書類と油売りはこうして連携しているわけだ。

 会社職人の生活を、ある人は単調で退屈な毎日だと評する。しかし、毎日同じことを飽きもせずに繰り返すことほど難しいことはない。寸分狂わず同じようにはいかないものだ。これにくじけた人間は職人技を身につけることなく脱落していく。脱落した人間は、ほぼ会社職人に返り咲くことはない。変化に満ちた波乱万丈な生活を強いられることになるだろう。

 会社職人の朝は早い。私は毎朝七時半に、人によっては六時には家を出るという。しかし最近では業績赤字という新たな時代の波によって職人の仕事は激減しようとしている。会社職人の姿が業界から消えていくのはもはや時間の問題かと思われるのだ。

                                           了

 

 


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