照る日曇る日第623回 短歌と和歌の区別もつかない私が岡井隆氏の名前を知ったのは、2008年7月に初めて日経歌壇に投稿した時のことだった。 穂村弘氏と共同の選者が他ならぬ氏であったのだが、まさかこの歌人が塚本邦雄、寺山修司と並び称される「前衛短歌の三雄」だとはまったく知らなかったのだから、ど素人もいいところである。 爾来氏がいかなる文学者かもつゆ知らず、時々日経歌壇に投稿してはいたのだが、いつまでたっても選ばれず、もうやめようと思っていた忘れもしない2012年6月3日の日曜日、 障碍の息子を持ちて身につけし障碍の子を見つける速さ という拙ない歌を、穂村弘氏が6席に選んでくださったので大喜びしていたら、なんとその翌週に今度は岡井氏が 「じゃあまた」と明るく別れを告げたれど吉田秀和『名曲のたのしみ』 という歌を第2席に選んでくださった。投稿の経験のある方なら、手の舞い足の踏むところを知らず、という狂喜乱舞の状態に陥った私の喜びを分かっていただけるだろう。雌伏4年とはこのことなるか。 それ以後、岡井氏のおめがねにかなった私の作品の数は以下のとおり。 薔薇が咲く港に浮かぶイージス艦YOKOSUKAは今日も仮想敵と戦う 誰ひとり読まぬブログを書き続ける人の心の底知れぬ闇 往年の大スタア次々に逝くめれどわが原節子のみ永遠に生くらむ 美しき落ち葉を拾い時折は取り出して見る日々送りたし エジプトやシリアの人が死にゆく日湘南の海で泳いでいるわたし 全部でわずか6首に過ぎないが、それでも私のような投稿歌人にとっては生涯忘れることのできない輝かしき桂冠なのである。 という自慢話にいつの間にかなり果ててしまったけれど、大辻隆弘氏が巻末でお書きになっている「懊悩と豊穣」という簡にして要を得た見事な作品論を読んで、初めて私は、岡井隆という不世出の天才歌人が辿って来た一筋の暗夜行路の偉大な所産を、今頃になって思い知らされたのであった。 「大賢は大愚に似たり生御魂」という河波青丘の句があるが、いまいったいどれくらいの人が岡井隆という深き井戸の恐るべき噴出力を知っているのだろう。本書を読み終わった私は、氏の長命と壮健をこころから祈らずにはいられなかった。 おほけなくも岡井隆うじ慕いまつりわれは生涯一投稿歌人 蝶人
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