<「わたしは、彼らと永遠の契約を結び、彼らの子孫に恵みを与えてやまない。またわたしに従う心を彼らに与え、わたしから離れることのないようにする。」(40節)> 主の言葉を信じ、アナトトの土地を買ったものの、エレミヤは不安になり祈りをもって訴えた。すると主はエルサレムの都とユダ王国にたいする審判を再び告げるとともに、それらの回復をも再び力強く約束された。 「主の約束は外面的な経済の回復だけではありませんでした。『わたしに従う心を彼らに与え』というように、民の心を本来のあるべき方向に変える内面的な心の変革を伴っていたのです。新しい契約は民の心を主に従う方向へと向けるものです。」と三好牧師は説かれる。 エレミヤ32章を現在の自分たちの問題として受け止められて、A牧師が説教されている。 「・・・新会堂を建てようと決心したとき、最初はお金もないのにと出来るわけがないと思っていました。それなのに、だんだんと神の計画は新会堂を建てるということではないのかという気がしてきたのです。けれど、現実にはほとんどお金はない。どこかからの献金が・・・という保証もありません。 けれども、建てることが神の命令、神の計画であるならばそれに従うしかないと思うようになってきたのです。神の計画と現実との厳しい状況の中で私たちはいつも苦しんでいる。神が大丈夫だ、心配するなと保証して下さるのと、銀行の通帳に充分お金が入っているのと、どちらが安心なのでしょうか。 必要な物は神が備えて下さると信じて神の命令通りにするのか、それとも充分なお金があるから神の命令通りにするのか、お金が貯まってから神の命令通りにするのかどっちなのだと問われるのです。私たちは信仰を持ち、真の神を信じています。私たちの信仰はその辺の偶像礼拝とは違うのだと教会ではよく言います。 けれども、わたしたちの信仰は現実の苦しい状況に左右されるのです。通帳の残高に左右される信仰でしかないのかもしれません。神の命令を聞くよりも、神の言葉に聞くよりも、真っ先に通帳に聞くような信仰でしかないのかもしれません。残高が少なければ何もできない信仰でしかないのかもしれません。」 常に通帳に伺いを立て、算段しながらしか前へ進めない者には心当たりが大いにある説教である。教会員が減少する中、どうにかして主のみ言葉を知らない人にお届けしたいものだと思うけれど、できない。それで、教会員が増えているという教会を真似ようとして失敗する。 無力なままで、主に委ねなさいと言われても、しどろもどろの話に誰も耳を傾けてはくれないだろうと思ってしまう。私たちの国でクリスチャンが増えないのは、クリスチャンという人たちの信仰が大事なところで、通帳に相談するからかもしれないと思った。 人生も最終章に入ったので、もっと真剣に祈りを捧げなければならないと思った。 日曜日はお近くの教会で礼拝を http://komatsu.church/index2.htmlどなたでもどうぞお越しください。お待ちしています。
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