<さて、悪人の一生は不安に満ち、暴虐な者の生きる年数も限られている。その耳には恐ろしい騒音が響く。平安のさなかに略奪者が彼を襲うのだ。暗黒を逃れ得るとはもう信じられない。彼の前に剣が待つのみだ。(20節)> ヨブは今の苦しみの理由を問い、生きる意味を神に叫び続けた。もし、神が一言でもヨブに答えて下さるなら、彼はそこに光明を見いだし、どんな苦難にも耐えることができた。しかし、神は答えられない。答えて下さらない神、そのことこそヨブの苦しみであった。 全身で神に詰め寄るヨブにエリファズは「なぜ、あなたは取り乱すのか。なぜあなたの目つきは苛立っているのか。神に向かって憤りを返し、そんな言葉を口に出すとは・・・」と言った。 エリファズはヨブの心を聞き取ることができなかった。彼はヨブのことを心配し親切心で語りかけるが、彼の思いは、苦しみに遭う者は「罪人」であり、平穏な自分は「義人」だという考えに固まっていた。そのような考えが妨げになり、ヨブの言葉や真意をまっすぐ聞き取れなくなっていた。 エリファズは続けた「どうして、人が清くあり得よう。どうして、女から生まれたものが正しくあり得ようか」と。こうなったら、ヨブが自分の罪を認め、悔い改めをするようにと、彼は神の代弁者のようにヨブを諭した。 彼は、心無い言葉でヨブを傷つけている自分自身の罪に気付かないまま、ヨブを悪人とみなし、ヨブが犯したことのない罪状まで彼の身に付け加えて厳しく非難した。「彼は神に手向かい、全能者に対して傲慢に振る舞い、厚い盾をかざして、頑なに神に突進した。」と。 エリファズの姿はいつも自分の姿に重なる。このような厳しい言葉を吐くことはないけれど、相手の言葉や行為を理解できず、彼は間違って神を信じていると決めつけているときがある。きっとそういう時は、自分自身が自分の考えに固執しているのだろう。 神に突進するヨブのような祈りが自分にも教会にも欠けている。カルチャースクールのように仲良し会のように居心地はいいけれど、そのことがじわじわと教会を蝕み、主イエスの教会から程遠くなり衰退してゆくのかもしれない。
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