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新世代努力論

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『新世代努力論』 イケダハヤト 2014/07 新世代努力論 「恵まれた世代」は判ってない。これがぼくらの価値観だ。 著者はプロブロガー。 若い世代と年長者の世代では「努力」の意味合いが違っているという本。  ぼくらの世代にとって、「努力」とは「報われる可能性もあるが、基本的に報われないもの」。「努力すれば報われる」というのは、もはや「幻想」。  「努力すれば報われる」という考え方は、高度経済成長、バブル時代の上りエスカレーターに乗っていた世代に特有の考え方。 今ぼくたちが生きているのは、経済も人口も停滞・縮小を迎えている時代。そういう下りのエスカレーターの時代においては、「努力したが全く成果が出ず、心身の健康を害しただけ」という帰結に陥る可能性のほうが高い。  これからは、疲れた馬に「努力せよ!」と鞭を打つような根性論的・精神論的な努力ではなく、人と社会に「やさしい」努力が求められる。  「努力すれば報われる」式の根性論が許容され、多くの人が実際に実践してきたのは、その「出口」が保証されていたから。会社勤めがどれだけ苦しくても、我慢すれば給料は上がっていくし、「定年退職」した先には安寧の暮らしが待っている。明確な出口があるから、根性論で耐えることができた。  グローバリゼーションは確実に、ぼくら日本の若年層の居場所を奪い、稼げない労働者を低賃金・低生活コストの土地へと追放していく。  縮小していく日本のなかで、若者たちは自衛的な価値観にシフトしている。 ぼくの周りは「身の丈にあった収入があればいい」と考える人々であふれている。  生活にかかるお金を減らしやすくなった。お金を稼ぎにくくなった。その結果として、昔に比べると、「社会から認めてもらえる生き方」の自由度が広がった。  努力する力というのは、英会話スキルのように、後天的に身につけるもの。努力できる人間は「たまたま恵まれていただけ」。自分の力で努力できるようになったわけではない。  「自己責任」という言葉は、責任を相手に押し付ける「無責任」な態度。本来は社会にも何らかの責任があるはず。  「努力すれば夢は叶う」という標語は嘘。「夢を叶えたければ、努力しなければいけない」という標語は99%程度真実。  何かの犠牲を割いて努力をするのは、健全ではない。その努力をすればするほど、あなたの性格は歪んでいくだろう。 犠牲を強いる努力ではなく、純粋に没頭できることをやるべき。  明るい未来を実現させるためには、ぼくをはじめとする「恵まれた個人」が「私は恵まれている」という自覚を持ち、「だから、私はこの恵みの循環に関わる」という決断と表明を、意識的に行っていく必要がある。


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