檀上寛/著
出版社名 : 岩波書店(岩波新書 新赤版 1615)
出版年月 : 2016年8月
ISBNコード : 978-4-00-431615-2
税込価格 : 972円
頁数・縦 : 283, 6p・18cm
天下と華夷思想を元に読み解く中国王朝史。現代にも通じる、中国人の根底にあるものの考え方がよく分かる。
【目次】
溥天の下、王土に非ざる莫し―春秋・戦国時代
天朝体制の仕組み―秦・漢
北の天下、南の天下―漢・魏晋南北朝1
天下と天下秩序―漢・魏晋南北朝2
中国の大天下と倭国の小天下―南朝・隋・唐
東アジアの天下システム―唐
天朝の行方―五代十国・宋・遼・金
天下一家の完成―元
天下一家から華夷一家へ―明
華夷変態と中外一家―清
中華民族の大家庭―近・現代
【著者】
檀上 寛 (ダンジョウ ヒロシ)
1950年生まれ。京都女子大学名誉教授。京都大学大学院博士課程修了。文学博士。専攻、中国近世史。
【抜書】
●華夏族(p7)
中国のことを、一般に中華(中夏)、華夏、諸華(諸夏)、華(夏)という。もっとも古いのが夏と中国。西周時代(BC11~BC8世紀)から存在する。周人も自ら「夏」と称した。
中国の中心部=文化的先進地=中原=華(夏)という観念が、春秋時代の頃に生まれた。
この地の住人が、のちに「華夏族」と命名される中国起源の種族。黄河中・上流域を中心に周辺の諸民族と接触・融合しながら、後世の漢族へと成長・発展していく。
●漢人(p12)
「中華(中夏)」という語は、一番遅く現れた。2、3世紀の後漢時代から三国時代にかけての造語。中国と諸華との組み合わせ。
中華の住民を普通、「漢人」と呼ぶ。三国時代は晋によって統一されるが、五胡の侵入によって華北地域は五胡の諸国家が次々と誕生した。五胡十六国。胡人は、漢人のことを「漢狗(かんく)」とか「一銭漢」などと呼んで蔑んだ。のちに、悪漢、卑劣漢、痴漢など、人を痛罵する時に用いる「漢」の語源。
五胡……匈奴(きょうど)、羯(けつ)(匈奴の別種)、氐(てい)(チベット種)、羌(きょう)(チベット種)、鮮卑(せんぴ)(トルコ種説が強い)をさす(『日本百科全書』より)。
後漢が滅びた後も、中華の住人を「漢人」と呼んでいた。
王朝の実効支配領域=郡県制施行地域=中国=中華(中夏)=華(夏)=漢人地域=狭義の天下=九州
●五服図(p16)
中華の天子の威徳の及ぶ地域=天下を、天子の徳化の程度に応じて同心方形状に5段階に描いたもの。
中心の「王都」から、甸服(でんぷく)-候服-綏服(すいふく)-要服-荒服。
甸服……方千里(約400km)、天子の直轄地。
候服、綏服……甸服の外側、方二千里、方三千里。諸侯の領地。ここまでが中国方三千里。
要服……南蛮と東夷が住む。
荒服……西戎と北狄が住む。天下方五千里。
荒服の外延は、「東は海に入り、西は砂漠にまで広がり、北も南も天子の声教を及ぼして、四海に達する」(『尚書』禹貢)。
●郊祀と宗廟祀(p21)
天朝の礼治体系の根幹をなすのは、祭天儀礼(郊祀)と祖先祭祀(宗廟祀)。後漢以降、郊廟と総称される。この二つを遂行することで、君主は自己の正当性を保障した。天の観念が生まれたのは、西周時代。
●天子と皇帝(p28)
天子の璽……諸外国ないし天地の祀りに使用。
皇帝の璽……国内の諸事や対諸侯用に使用。
●天弟、天子(p98)
西暦600年、隋の文帝(581‐604)のときに倭国が久しぶりに入貢。第一次遣隋使。使節に倭国の風俗を訪ねる。
「倭王は天を兄とし、日を弟としております。天がまだ明け切らぬうちに出座して、胡坐をかいて政務をとり、日が出てくると政務を止めて次のようにいいます。我が弟の日に任せよう、と。」(『隋書』倭国伝)
文帝は、倭王が「天弟」を称したことを不快に思い、訓令を出して改めさせる。中国皇帝は天の子なので、倭王より下の世代になってしまうため。
607年、小野妹子の遣隋使が国書事件を起こす。その時の文書は、「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。」となり、「天弟」から「天子」に自ら格下げしたが、対等ということが煬帝には気に入らなかった。
●宗法秩序(p120)
中国は、力関係が対等な国(敵国:匹敵する国)との関係を、家族内の上下秩序で表現した。宗族(男系親族)の規則(宗法)にちなんで、宗法秩序という。
唐は、吐蕃(7世紀前半~9世紀中葉。チベットに初めて成立した統一国家)の国王に公主(皇帝の娘)を降嫁し、舅と甥の関係とした。
●澶淵の盟(p144)
1004年、宋と遼が、宋都開封に近い黄河畔の澶州(せんしゅう)で対峙。「澶淵の盟」を結ぶ。
1. 毎年、宋から遼に対して絹二十万匹、銀十万両を与える。
2. 辺境の州軍は境界を遵守し、両地の人戸は互いに侵犯してはならない。
3. 盗賊が境界を越えて逃れてきたときには、隠匿せずにただちに引き渡す。
4. 耕地と農作物とを互いに荒らさない。
5. 従来から存在するものを除き、新たに築城したり河道を開鑿したりしてはならない。
両国の国境を画定させた。
ほかに、①宋皇帝と遼皇帝との名分関係を兄と弟とする。②両国で取り交わす国書は対等な致書文書とする。
宋は、実を捨てて名をとった。
●王朝名の由来(p181)
秦、漢……初めて興った土地の名前。
隋、唐……封ぜられた爵邑の名に基づく命名。楊堅は隋国公、李淵の父親は唐国公だった。
元、明、清……抽象的、理念的な国名。いずれも、多民族の複合国家である。また、大元、大明、大清が正式な国名であり、「大」の字を戴く。
●朱元璋(p189)
朱元璋は、濠州の貧農出身だった。紅巾軍(白蓮教徒)が、元の首都大都を目指したのに反して、南下して江南を陥れた。1356年、南京(当時の集慶路)を攻略、12年後に大明を創設。
江南は、もともと中原から見れば未開の辺境であったが、宋代、とりわけ南宋時代には経済力で華北を凌駕していた。江南の圧倒的な経済力と膨大な人口のおかげで、南宋は金や元に対抗できた。
朱元璋のブレインの儒者たちは、戦闘の合間を縫って無学の朱元璋に儒学教育を施し、伝統的な中華帝国の天使に仕立て上げていく。
●朝貢一元体制(p219)
明は、海禁によって民間貿易を禁止した。周辺諸国は、朝貢体制に参加し、王朝と朝貢貿易を行う。内陸諸国も同様だった。
朝貢制度が完全に体制化したのは、明代だけ。
永楽帝は、朝貢一元体制を、華夷一家の観念で補強。すべての藩王が冊封され、冠服を授与され、明の皇帝との家族秩序も設定できた。
●乾隆帝(p242)
康熙帝・雍正帝によって清朝の支配は盤石のものとなった。その後を継いだ乾隆帝の時、清朝の領土は最大となる。
十全老人……乾隆帝は、十回遠征軍を派遣し、十回とも勝利した。そのため、自己の「十全武功」を誇り、自ら「十全老人」と称した。
五族共存……満、漢、蒙、回、蔵に代表される多様な民族が、独自の文化を保持しつつ平等に存在する世界。
皇清の中夏……皇清の大一統。乾隆帝が、五族の地に与えた特別の概念。統一王朝であることを表現。
●小中華(p247)
朝鮮は、明を中心とした大天下のもとで、明への事大を貫いてきた。明から清への「華夷変態」は、朝鮮に多大な影響を及ぼした。
朝鮮の小中華思想では、中華たる朝鮮の周囲に、野人(女真)、日本、三島(対馬・壱岐・松浦)、琉球の四夷が配置され、その中でも女真は最も野蛮だとして、野人と称された。その女真の国王ホンタイジに三跪九叩頭しなければならない屈辱を味わった。
両班たちの屈辱感は明への慕華へと転化し、明滅亡後も最後の崇禎年号を使い続けた。
(2016/11/26)KG
〈この本の詳細〉
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