『金大中事件最後のスクープ』 古野善政 2010/05
著者は元毎日新聞社会部記者。 金大中事件の真相にせまる本。
真相に迫ってはいるが、究明には至っていない。依然闇の中だ。
金大中拉致事件は1973年8月8日に起きた。金大中は当時の韓国の独裁者・朴正煕の政敵で、日本に亡命していた。東京のホテルから一等書記官でKCIAの金東雲らによって拉致され、翌9日秘密裏に大阪から船「龍金号」で出国、ソウルで開放された。時の田中角栄政権は金大中の原状回復を求めなかった。その後、金大中は自宅軟禁、1980年に全斗煥政権により逮捕、死刑判決を受けるが復活、大統領となる。2009年に没している。
拉致を指示したのはKCIA部長・李厚洛だとされる。その李も更迭される。朴正煕はKCIA部長・金載圭に1979年に射殺され、結果全斗煥が実権を握った。
金大中の長男は、1980年にKCIAに逮捕・拷問され神経系に傷を負いパーキンソン病になった。
金東雲はカバーネーム、スパイ用の名前だ。妻は東北出身の日本人とされる。日本語はそれほど上手くなく、日本の興信所に「韓国野党の大物の動向」を監視させる。その興信所が退職自衛官が作った「ミリオン資料サービス」だった。退職前休暇中の自衛官も出入りしていたので、73年9月24日の新聞に「監視グループに現職自衛官」と掲載され、国会で問題となる。
この事件は73年11月に韓国首相・金鍾泌と田中角栄の会談で政治決着している。口頭で謝罪はあったものの、日本側は主権侵害や人権、原状回復の権利を放棄する内容となっている。この決着に「角栄は3億円を貰った」という噂が出る。そのような証言もあるが、実態は不明だ。
マスコミも、自衛官の関与については騒ぐものの、主権侵害や人権についてはそれほど気にしていない、そんな時代だった。
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