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161023読んだ本&買った本

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ブックオフで何気に手に取りざっと読んでアホくさっと戻した漫画が今季アニメ化されてた(゚ロ゚;)エェッ!? 【読んだ本】 池田弥三郎『百人一首故事物語』(河出文庫,1984)所蔵本 和泉式部女(小式部内侍)の「大江山 いくのの道の遠ければ、まだふみもみず。天の橋立」の「伝承」 で紹介されていた、蜀山人の「大江山いくのの道の遠ければ酒呑童子のいびき聞えず」には笑った(^^) 「うらみわび 乾さぬ袖だにあるものを。恋に朽ちなむ名こそ惜しけれ」の相模の「伝承」には「江戸 では、お隣りの相模が有力な下女の供給地で、しかも相模下女は好色者の典型とされていた。」とあり、 へぇ~って感じ(@_@) 似たような下ネタを、杉本苑子『影の系譜~豊臣家崩壊』(文春文庫,1984)も 大政所に語らせてた^_^; 「嵐吹く 三室の山の紅葉ばは、竜田の川の 錦なりけり」の能因法師に関し、 その「伝承」において「川柳子の像には、歌人は居ながらにして名勝を知った能因が出来上っていて、 /わらぢ食ひまでは能因気がつかず/御紀行拝見に能因は当惑し/と、散々だが、家集で見ても、東国 へ行ったことは嘘ではない。能因が、どうして、行かなかった旅人、ということになって、世間の像が できていったのか、興味があるところだ。」とする(^^) 石田吉貞『百人一首評解』(有精堂出版,1956) も、「奥州に旅行したまねをして」詠んだ歌があると『古今著聞集』に書かれているが「家集によると 奥州に下ったことは事実である。」としてるし、百目鬼恭三郎『新古今和歌集一夕話』(新潮社,1982) も、当該歌に関し「歌を実感の詠にみせかけようとして、能因が家にひきこもり、奥州に下向したとの 風聞をたてさせたという逸話」を『袋草紙』で藤原清輔は紹介した後、実際に下向した事実を指摘して いる由^_^; 百目鬼は「『和歌文学大辞典』(明治書院)によると、その足跡を印した地は二十一ヵ国に およぶといい、この時代にこれほど旅行をした歌人は稀であろう。漂泊の詩人の代表のようにいわれる 西行でさえこれほど旅行はしていない。」と評してるから、たしかに「興味があるところだ」(@_@;) 「夕されば、門田の稲葉おとづれて、あしのまろ屋に、秋風ぞ吹く」の源経信の「伝承」で、「源経信 が出てくると、百人一首の作者の世界も、だいぶ撰者定家の時代に近くなってくる。そして、次第に 歌壇の派閥が、人選の上に反映してくる。」として、経信―俊頼―俊恵と「三代にわたって作者である のは、百人一首ではこの三人だけである。」こと、また定家の父・俊成の師である基俊と俊頼とは「仲 が悪かった」ことを紹介し、「一方、定家の御子左家と烈しい争いをしたのが、同じ藤原の六条家だが、 この歌学に名のある六条藤家も」顕輔と清輔「だけしか百人一首に選ばれてはいないのである。」とし、 「経信から終りまでの三十首は、歌壇派閥のこうした家系に位置づける必要があると思う。」と結論^_^; どれもよく知られている話だし、こういう捉え方も理解はできるけど、どうなのかしら(..) そもそも 六条源家と御子左家のことを述べた上記件は何を言いたいのか理解不能(+_+) だが、その藤原基俊の歌 「契りおきしさせもが露を 命にて、あはれ 今年の秋もいぬめり」の「伝承」で、その意味するところ が明らかに(@_@) 曰く「子のために願った栄達が得られなかったときの父親の歎きだが、どうも上の句は 歌学者らしいぎくしゃく調で、百人一首ではとてもお付き合いしきれない。定家も、父俊成の師という ことで、やむなく基俊の歌を入れたのだろう。定家の基俊への評価は低かったと言われている。」とし、 義理で入首したとするわけだ^_^; だけど、石田は「定家は源実朝に歌の手本として贈った『近代秀歌』 (流布本)の中に、この歌をあげているのであり、この百人一首にもとっているのであるから、よほど この歌をよい歌と見ていることがわかる。秋草のようなしめやかな艶、あくまで柔軟で自由な言葉づかい や姿、きめの細かい曲折の多いもみもみとした韻律、さすがに天才歌人俊頼と相対して譲らなかった、 老手基俊のこくのあるうまみが感じられる。」と評価しているから、もしも石田が本書を読んでいたら、 (待賢門院堀河の入首歌への戸田茂睡の酷評に対し言い放った)「見当ちがいもはなはだしい。彼はこの ような歌の美を解し得なかったものと見える。」と一蹴してたかもな^_^; 本書の巻頭の一文「百人一首 への誘い」で、「参考になった著述」の一つとして島津忠夫訳注『百人一首』(角川文庫,1969初版)を 著者は挙げてて、初版とは異なるかもしれないけど、同書の新版16版&改版22版の〈・・・『遣送本近代 秀歌』にあげた六人の歌人のうちでも、「大納言経信卿、俊頼朝臣、左京大夫顕輔卿、清輔朝臣、近くは 亡父卿、すなはち此の道をならひ侍りける基俊と申しける人」と最後にあげ、それも俊成の師であった という点に重点をおいて付記した形であり、歌も誰よりも少なく、二首しかあげていないのである。〉 という件が著者の拠り所なんだろうね^_^; でも、結局、この歌を「あげてい」たということは、この 歌については定家も評価してたわけで、「父俊成の師ということで、やむなく基俊の歌を入れた」わけ ではないのでは^_^; ド素人が言うのも失礼なんだけど、本書を読む限り、百人一首の歌や歌人に対する 著者の識見には疑わしいものがあるから(+_+) 「うかりける人を 初瀬の山おろし 烈しかれとは 祈らぬ ものを」の源俊頼の「伝承」でも、諏訪の「風の祝[はふり]」の神事を歌に詠みたいと相談してきた 藤原資基に対して詠んではいけないと答えておきながら、俊頼がパクって詠んだという「有名な話」を 紹介し、俊頼は「腹黒い人物だったのかもしれない。」との評に爆笑^_^; 百目鬼によれば、この話は 『袋草紙』に出てて〈清輔は「尤モ腹黒キ事歟」と評しているけれど、ここまで貪欲にしなければ歌壇 にのしあがれなかった俊頼の辛さも汲んでやらなければなるまい。〉(^^) 俊頼がパクった逸話を紹介 しながら、ソレに対する評言を紹介者自身がパクってるんだから、もう本書は〈お笑い百人一首〉^_^; 池田弥三郎『光源氏の一生』(講談社現代新書,1964)所蔵本 森銑三&柴田宵曲『書物』(岩波文庫,1997)所蔵本 【買った本】 杉本苑子『二条院ノ讃岐』(中公文庫,1985) 遠崎史朗(原作)中島徳博(作画)『アストロ球団③ビクトリー球団〈死の特訓〉編』(太田出版,1999) またМX映らなくなった(+_+) 明日のルパン最終話は録画できない(;_;) 視たい話だけ映らない謎(-"-)

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