Quantcast
Channel: So-net blog 共通テーマ 本
Viewing all articles
Browse latest Browse all 53333

日本書紀 古代史研究の最前線

$
0
0

古代史研究の最前線日本書紀

洋泉社編集部/編
出版社名 : 洋泉社
出版年月 : 2016年7月
ISBNコード : 978-4-8003-0957-0
税込価格 : 1,728円
頁数・縦 : 239p・19cm


 『日本書紀』に関する最新の研究成果を分かりやすく解説。

【目次】
第1章 『日本書紀』を読み解く
 『日本書紀』編纂者の謎を追う……笹川尚紀(1973年生。京都大学文化財総合研究センター助教)
 『日本書紀』と『古事記』の成立時期を考える……瀬間正之(1958年生。上智大学文学部教授)
 六国史における『日本書紀』の地位……細井浩志(1963年生。活水女子大学教授)
 『日本書紀』はいかに伝えられたのか……遠藤慶太(1974年生。皇學館大学研究開発推進センター准教授)
第2章 『日本書紀』と古代人物
 神武東征伝承に物部氏の祖神・ニギハヤヒが登場するのはなぜか?……飯泉健司(1962年生。埼玉大学教育学部教授)
 「四道将軍」はヤマト王権の拡大過程を反映している……内田正俊(1961年生。大阪府立高等学校教員)
 箸墓古墳は倭迹迹百襲姫命の墓なのか?……西川寿勝(1965年生。大阪府立狭山池博物館学芸員)
 『日本書紀』の典拠主義からみた「隼人」の実像……原口耕一郎(1974年生。安徽大学〈中華人民共和国〉外国人専任講師)
 「磐井の乱」は筑紫君と倭王権の外交権をめぐる戦いだった……高田貫太(1975年生。国立歴史民俗博物館研究部准教授)
 蘇我氏と物部氏の対立――仏教受容と神祇信仰――……有働智奘(1972年生。國學院大学兼任講師、武蔵野大学非常勤講師)
 大伴王子の即位と壬申の乱――王子が死後斬首されたのはなぜか……中村修也(1959年生。文教大学教育学部教授)
 聖徳太子の未解決問題とは?……古市晃(1970年生。神戸大学大学院人文学研究科准教授)
第3章 『日本書紀』をめぐる諸問題
 難波宮から『日本書紀』に描かれた宮都を考える……荊木美行(1959年生。皇學館大学研究開発推進センター副センター長・教授)
 災害記録としての『日本書紀』をどう読むか……小林健彦(1962年生。拓殖大学大学院客員教授、新潟産業大学准教授)
 『日本書紀』の女性表現を考える……遠藤みどり(1981年生。日本学術振興会特別研究員)
 『万葉集』は『日本書紀』とどんな関係にあるのか……中嶋真也(1973年生。駒澤大学文学部教授)
 木簡と『日本書紀』の距離……市大樹(1971年生。大阪大学大学院文学研究科准教授)
第4章 『日本書紀』研究入門……宮代栄一(1963年生。朝日新聞編集委員)
 論点がわかれば、もっとおもしろくなる
 日本書紀をもっと知るためのブックガイド
資料編 『日本書紀』全巻改題……古川順弘(1970年生。ライター)

【抜書】
●天照大御神(p20、瀬間)
 『日本書紀』は、歌謡仮名・訓註仮名から、以下の3分類がある。森博達『日本書紀の謎を解く』。
  α群(巻14~21、巻24~27)
  β群(巻1~13、巻22~23、巻28~29)
  持統紀(巻30)
 「アマテラス」の表記は、『古事記』では一貫して「天照大御神」。
 α群では、「伊勢大神」「日神」。「アマテラス」は出てこない。
 β群では、「天照御神」。
〔 筑紫申真(つくしのぶざね)は、アマテラス誕生について、大来皇女(おおくのひめみこ)が斎王になった六七三年にアマテラスと皇大神宮(こうたいじんぐう)の誕生の陣痛がはじまり、持統三年(六八九)、プレ=アマテラスを「天照す、日女尊」(草壁皇子挽歌)と呼び、アマテラスの呼称の誕生は、文武二年(六九八)十二月の皇大神宮の誕生(多気〈たき〉大神宮を度会郡に移した時)以前の十年間であると述べる。また近年、新谷尚紀(しんたにたかのり)は、天照大神のモデルになったのは高天原広野姫(たかまがはらひろのひめ)天皇をその諡号とする持統天皇であり、天照大神と皇孫瓊瓊杵尊の関係は持統天皇と文武天皇の関係を投影しており、神話世界における天照大神の「天壌無窮」の神勅は、持統天皇がその父親である天智天皇に仮託して構想し、妹の元明天皇の即位に際して言明された「不改常典」の詔を反映したものとしている。〕

●託宣政治(p76、西川)
 『魏志』倭人伝に現れる卑弥呼や台与の政治は、カリスマや軍事力ではなく、傀儡であり、執政の代行であった。つまり「託宣政治」。
 天皇の代替わりの間に政治を代行したのは皇妃や娘。殯宮で先帝を奉斎しながら、先帝の言葉を託宣していた。
 記紀における葛城氏や蘇我氏なども、天皇に妃を出すことで政治力をつけていった。天皇の代替わりの間、殯宮奉斎女王として皇妃が託宣を受け、次期政治体制や人事を有利に取り計らった。
 代替わりの空白期間が重要となり、先帝を神格化する巨大な古墳造営や荘厳な葬送儀礼が行われるようになった可能性もある。

●隼人(p85、原口)
 古代南九州の人々が「隼人」と呼ばれたのは、わずか120年間ほどのことにすぎない。7世紀終わりの天武朝から、9世紀初頭まで。
 中国の華夷思想に倣って、「隼人」は辺境の「異民族」とされた。
 「天皇」という言葉も、中国の古典に多く登場する中国語。歴史上、最初に君主号として天皇号を採用したのは、唐の第三代皇帝・高宗(在位649-683)だとされる。日本では、天武朝の途中か、次の持統(在位690-697)朝に天皇号が成立したと考えられる。

●羈縻支配(p132、中村)
 天智朝は、平和な政権ではなかった。
 白村江の戦で敗れ、日本は唐の羈縻支配を受けた。
 羈縻支配(政策)……武力を使わないで有力者を懐柔し、自治を許して間接統治を行う。
 唐からは役人が派遣され、羈縻支配のための都督府を設けるため、拠点として朝鮮式山城を築き、その資材や労働力を調達するために律令的税制の導入を図った。

●皇后(p168、遠藤みどり)
 皇后制とは、所生子の立太子を引き出すため、キサキの一人を立てて皇后とする制度。
 皇后の選定基準は、①所生子が即位した者、②皇女(もしくはそれに準ずる皇族)のいずれか。
 史上、最初の皇后は鸕野(うの)皇女。のちの持統天皇。所生子の草壁皇子の即位を優位にさせるために創出された。
 しかし、草壁は即位目前で死去。草壁の子である珂瑠皇子を即位させるため、持統が即位。
 『日本書紀』の皇后・妃という称号は、7世紀末の編纂時において新たに付された称号。実際のキサキたちが称したものではない。

●ヒメミコ(p170、遠藤みどり)
 『日本書紀』では、景行天皇以降、天皇の子を指す称号として、男は「皇子(みこ)」、女は「皇女(ひめみこ)」と書くようになった。
 飛鳥京や平城京から発掘された木簡などの証拠により、8世紀前半まで、日常的には男女の区別がされていなかった。女性も「ミコ」と称されていたと考えられる。
 当時国家体制を整備する際に手本にした、男性主体の中国の影響。
 
(2016/10/1)KG

〈この本の詳細〉
honto: http://honto.jp/netstore/pd-book_27923116.html
e-hon: http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000033459261


Viewing all articles
Browse latest Browse all 53333

Latest Images

Trending Articles



Latest Images