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『あなたのお墓は誰が守るのか(「心のエンディングノート」のすすめ)』読了(追記あり)

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 枡野俊明(ますの・しゅんみょう)さんの、『あなたのお墓は誰が守るのか(「心のエンディングノート」のすすめ)』を読みました。

あなたのお墓は誰が守るのか 「心のエンディングノート」のすすめ (PHP新書)

あなたのお墓は誰が守るのか 「心のエンディングノート」のすすめ (PHP新書)

  • 作者: 枡野 俊明
  • 出版社/メーカー: PHP研究所
  • 発売日: 2013/06/15
  • メディア: 新書

 例によって、感想は、追記をお待ちください。

 

   追記・感想

 

 婚活ならぬ、「終活」という語句があるらしい。

 それは、自分が死んでから、残された家族や弟子に伝える内容を残すこと、或いは、子

供が無くて生涯独身だった人が、檀家の寺に頼んで、永代供養をしてもらって、檀家の住

職に後々まで弔って(拝んで)もらうこと、を、若いうちから準備することを言う。

 自分の財産を、誰に譲るかを遺言状に書いておくことも大事。まして自分の直系の子孫

がないなら、放っておけば財産は国に取りあげられてしまう。

 枡野さんは、僧侶。僧侶ならではの意識と視点で、少子高齢化、墓不足などの問題に答

えられる。

 自分の命は、お釈迦様からの預かり物、そういう意識を持って命を大事にされたい、と。

そのためにも、子供を墓参りに連れてくることに意味がある。

 自分の命を大事にする人は、周りの命も大事にする。

 もしも次男坊や三男坊が生涯未婚のままであったり、あういは後継ぎがいなかったとき

には、養子をとって分家を守るか、または、先祖代々の本家にお願いして、本家のお墓に

お世話になるのが一般的だった。【本文引用】

 大学進学や就職のために都会に出て、出身地に戻らない。だから地縁や血縁というもの

がどんどん失われている。

 少子高齢化で、生まれてくる子どもが少なくて、亡くなるお年寄りの数が増え続ける。

お墓ばかりが増えて、それを守る人はどんどん少なくなっていく。なのに、全国的に見れ

ば墓地は不足している。

 墓地が無縁化する。

 この無縁化した墓地の処遇も、簡単には行かず、役所での手続きとかそのために縁者が

すべて亡くなっているのかといった情報も調べて、尚かつ一定の期間待たないと更地に出

来ないらしい。そこのお骨は、寺の永代供養墓に入れ、永代供養される。つまり、その寺

の住職に永遠に拝んでもらえる。

 自分の墓が無縁化しそうなときは、すぐに檀家の寺の住職に相談してほしい、と仰有る。

それと併行して、血縁を探す。孫でも甥の子でもいい。養子でもいい。

 無縁墓地になってしまうと、そこを他の家の墓に変えるのに、相当手間がかかる。墓が

少ない問題は、無縁墓地が増えていることも原因のひとつだ。

 都会にも地縁はある。血縁以外の地縁の人に、墓参りしてもらうことも出来る。

 これは、西村賢太氏が、故藤澤清造氏の墓に参っている例もある。血縁以外にも墓を守

ってもらうというパターンもあるのだ。

 子どもが居なく、普段から親戚とも連絡をとっていない老人が、亡くなったとき本来は

いるべき墓がどこにあるのか判らず、迷子の遺体となる。そういうことにならないように、

独りになってしまったら、一枚のメモをいつも身につけているという方法をとるとよい。

「もしも私の身に何かがあったときには、**寺に連絡してください」と、こういうメモ

を財布なりのなかに入れておくとよい。お寺には、自分の死んだあとの葬儀や納骨の費用

を生前に渡しておくのである。

 『お寺の役割を取り戻したい』の項では、もともとお寺は、檀家さんの住民票を管理す

るような役割を持っていた、と。寺子屋でもあり、みんなが集まる場であった。そして手

習いのあと、子どもたちは寺の境内で遊んでいた。住職が監視しているので、そこは最も

安全な遊び場だった、と。それが、最近では公民館に取って代わられている。お互いのこ

とを自然な形で見守る、和の世界、地縁があった。

 分骨するのを悪いことと思うのは思いこみで、たとえばマスオさん一家のような場合、

嫁が死んだら実母も身近で拝みたい、と思うもので、分骨すればよい。分骨して、その後

の供養をきちんとやるかどうかが問題なのだそうだ。

 自分がはいる墓がない。或いは、今後参ってもらう人がない人が、安心して最期を全う

できるように、永代供養の考えに賛同し、できる限り早い段階で生前戒名「安名」の授与

を受けること。次に、同じ境遇にある人々との交流の輪を拡げていただく機会を設け、お

寺を中心とした新しいコミュニティーをつくること。ご本人が逝去された折には、ご葬儀

や埋葬供養等は、滞りなくお寺が責任をもってお務めを行い、その折のお布施等の心配が

ないように、生前にお寺にお納めしていただく。【一部本文引用】

 人間は、誰しも「私はこの時代に生きたのだ」という証がほしい。そこで、生きている

うちに遺言状をつくり、財産を寄附する先を決めておくこと。財産の一部を寺に奉納する

ことも一案。そうすることで、仏具や建物、庭園や文化事業に充て、そこに奉納者の名前

を残すことができる。

 病室で延命措置を受けながら、チューブに繋がれて最期を迎える人が多い。3世代同居

も減り、孫が見舞いに来ても数分で帰ってしまう。こんな現状だから、死を、点で捉える

ことになる。本来は、弱っていく姿こそを、しっかりと孫や子どもに伝えなくてはならな

い。

 「心のエンディングノート」を書き残す。それは、残された者たちに伝えたいことを書

くもの。伝えたいことは変化していくので、毎年更新してもよい。

 書く、という行為は、心を鎮める効果を持っている。声に出せば、余計に憎しみは増長

するが、「書く」という行為は、心を鎮静化させてくれる。書くには、考えて頭のなかで

文章を組みたてなければならないから。

 「心のエンディングノート」は、誰に向けて書くのかを決めてから書く。

 たとえば、5の項では、仕事のことを書く、として書き方を教授されています。天職に

出合えた人、いつも探し物をするように仕事を変えてきた人、も、実は人生としては大差

ない、と仰有います。生きるために働く、働くために生きる、どちらも正解。お金を稼ぐ

ことだけが働くということではない。家族のために食事をつくる、庭の草むしりをする、

なども、困っている人を助けることも、すべてが人間としての仕事。そういう意味で、仕

事について書いてみよう、と。7では、幸せだったあの頃のこと、を書いてみること。「治

らない病気になったことが、それだけで不幸なことでしょうか」と、読者に問う。一時は

不幸だと感じても、そのなかにさえ幸福の種は落ちている。8は、つらく、苦しかったこ

と、について。とにかく歩みをつづけていくと、抱えていた苦しみが知らぬ間に落っこち

ていることがある。たった一つの苦しみや悲しみに捕らわれてしまうと、一歩もまえには

進むことができない。苦しみや悲しみは、執着すればするほど大きな存在になっていく。

苦しみをとりあえず脇に置いておくこと。努力によって消せるなら努力すればよい。自分

の力が及ばない苦しみなのであれば、見て見ぬふりをすればよい。

 自分の夢について書いておく。ひょっとしたら息子に受け継がれるかもしれない。

 財産分与のことで、貴方の死後、親族がもめることがある。それを防ぐためには、きち

んと遺言を書いておくことである。

 「延命措置」を受けたいか受けたくないかを書き記しておくことも大事。

 あるお婆さんの話が出てくる。

 百歳近い年齢になって、もう自分の力で生活することが出来なくなった。息子夫婦も身

体の具合がわるくなったので、お婆さんは施設に預けられることになった。

 ところが、入居しているほとんどの人は認知症で会話をすることが出来ない。お喋りが

大好きだったお婆さんは、一日に数分介護福祉士と話をするようになるが、やがて入居が

増え施設が忙しくなったので、それさえ適わなくなった。「はやく、一日でもはやくお迎

えがきてほしい」と、見舞いに来た孫たちに言ったという。必ずしも長生きすることが幸

せなのではないことを物語っている。

「一日作(な)さざれば一日食らわず」という禅語がある。「働かない者は食べる資格な

どない」という意味に捉える人が多いが、本当の意味は、「自分自身がなすべきこと。そ

れを一生懸命に果たすことこそが大事である」というのだ。

 昔は、リタイアした老人にも役割があった。子守りなどだ。あるいは、収穫された作物

を仕分ける、など。

 今の老人に対しては、「自分自身にタガをはめる」ことを薦められている。規則正しく

生活し、毎日、必ず一回は外出する。電球を換えたり、庭の草むしりをしたり、と、自身

に課題を持つことが大事。

 雲水(一人前の禅僧になるための修行者)には、日々に厳しいタガがはめられている。

朝4時に起床。座禅。朝のお勤め。掃除、など。分刻みのスケジュールだ。社会から遮断

されて、厳しい修行を強いられている。どうしてそれほど厳しくするのか。それは、余計

な煩悩を持たせないため。やるべきことの負荷が大きいので、他のことが考えられなくな

る。遊びたい、とか、何かが欲しい、とか、そんな欲望はいっさい生まれてこない。欲望

があるとすれば、お腹いっぱい食べたいということくらい。やるべきことをやることで、

不安もなくなる。

 そういう意味で、老後の生活にも、自身でタガをはめよう、と推奨されています。

 雲水は、病気になることがほとんどない。食事は一汁一菜、それも充分な量ではない。

素足での生活。早寝早起き。こういうストイックな(身体にも心にも)生活が、病気を呼

び寄せない。寒い。冷たい。いつも少し空腹。なのに。

 規則正しい生活と、余分な物を食べない、ということが健康の秘訣。

 死に方に、よい悪いはない。最期の瞬間だけでその人の人生を決めてはならない。

 人生の不条理に対して、「どうして自分だけが」と誰でも思うもの。しかし、運命や宿

命を諦めるのではなく静かに受け入れる。運命にさえ「いい運命・悪い運命」というもの

はない。

 さて、付箋をつけたところを重点的に紹介してきたが、感想としては、少子高齢化の時

代、自分がはいる墓がない、とか、自分の墓の守をしてくれる人が居ない、とかの問題が

出てきている。自分の墓の用意をし、拝んでもらう人を探しておこう、ということ。また、

それが見つからないなら、永代供養の準備をしておくことが大事だ。

 また、「心のエンディングノート」とを書き、身近な人に、普段伝えられないことを書

き残しておこう、ということ。

 就活や婚活も大事だが、人生の最期に備えた「終活」も大事なのだ。

 海などに散骨することは、残された者が手を合わせる場所がなくなってしまうのでよく

ない。これは、私は、著者と同意見だ。散骨するとしても、せめて分骨して一部を墓に入

れるべきだと思う。

 墓参りすることで、亡くなった人に話しかけ、それが自身の身を正す声としての意味も

持っている。

 お墓参りは、単なる儀式ではない、と言える。

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