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日本人が知らない最先端の「世界史」

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日本人が知らない最先端の「世界史」

福井義高/著
出版社名 : 祥伝社
出版年月 : 2016年7月
ISBNコード : 978-4-396-61567-3
税込価格 : 1,728円
頁数・縦 : 300p・19cm


 英独仏露の各言語に堪能な著者が、日本ではあまり知られていない各国語の論文を読み解き、世界の近・現代史を論じる。

【目次】
1 「歴史修正主義」論争の正体
 日独同罪論をめぐって
 歴史認識は処罰の対象となるのか
 なぜ「歴史修正主義」は非難されるのか
 チャンドラ・ボースは英雄か傀儡か?
2 「コミンテルンの陰謀」説の真偽
 「コミンテルンの陰謀」は存在したか
 過去を直視しない人々
 ヴェノナの衝撃
 それでも「スパイ」と認めない人々
3 大衆と知識人
 大衆と知識人は、どちらが危険か
 ナチスを支持したのは、はたして誰か
4 中国共産党政権誕生の真実
 毛沢東はスターリンの傀儡だった
 中国共産党の「救世主」だった日本
 中国共産党政権の誕生に果たした米国の役割

【著者】
福井 義高 (フクイ ヨシタカ)
 1962年8月京都生まれ。東京大学法学部卒。カーネギー・メロン大学Ph. D.、米国CFA。日本国有鉄道、東日本旅客鉄道株式会社、東北大学助教授(大学院経済学研究科)を経て、青山学院大学教授(大学院国際マネジメント研究科)。

【抜書】
●ヴェノナ文書(p144)
 ヴェノナ(VENONA)文書……1940年から1948年の間に、主に米国で活動するKGBとGRU(ソ連国防省参謀本部謀報部)の工作員と、モスクワ本部とでやり取りされた暗号電信を入手し、1943年から1980年までかけて解読作業が行われた。ソ連崩壊により、安全保障上、秘密にする必要がなくなったため、1995年7月11日に公開。NS       Aのホームページ。 
 やり取りは、一般の電信サービスを通じて行われていた。当初、1回しか使用しない乱数で加工されていたので、解読することは不可能だったが、戦争の激化もあり、大量のメッセージを処理する必要に迫られたソ連情報機関は、乱数の作成が間に合わず、同じ乱数を複数回使用するようになり、解読が可能となった。
 300人を超える米国人(と永住権者)がソ連のエージェントとして活動。その中には、何人ものルーズベルト政権高官が含まれていた。
 エージェントのほとんどが、共産党員。アール・ブラウダー書記以下、米国共産党が、組織的にソ連のスパイ活動の一翼を担っていた。

●日本の冷戦(p163)
 坂本多加雄学習院大学元教授「そもそも共産主義勢力との『冷戦』を早い時期から開始していたのは、他ならぬ日本であった。それが開始されたのは、一九二五年、日本がソ連との国交樹立に伴い、治安維持法を制定しているからである。モスクワのコミンテルンの指導に忠実に従った勢力によってなされる反体制運動に対しては、もはや従来の治安法規では対処できないと考えられたのである」(『求められる国家』小学館、2001年)。

●ヴァシリエフ・ノート(p172)
 ソ連崩壊後、困窮するKGB退職者を金銭的に支援すべく、KGB後継機関のSVRは、米国の出版社と秘密文書に基づく書籍刊行の契約を締結する。
 元KGB工作員アレクサンドル・ヴァシリエフは、主に1930年代から50年代にかけての米国での工作活動に関する非公開文書を閲覧することを許され、詳細なノートを作成した。1994‐96年。
 ロシア国内情勢の変化により、対外工作活動も含めて、ソ連時代を再評価する動きが強まったこともあり、このプロジェクトは中断される。
 ノートを要約したものとして、『とりつかれた森』が公刊されたが、ノート自体は公開されず。
 「反露(ソ)的」情報公開に関与したとして非難されたヴァシリエフは、英国に移住、帰化する。友人に託した全9冊のノートは、2001年、ヴァシリエフの元へ。
 ノートに基づき、『ヴェノナ』の続編ともいえる『スパイたち』が書かれる。
 ノートは、米議会図書館に寄贈され、ウィルソン・センター(米議会が設置したシンクタンク)のHPで、ノート自体のスキャン画像、ロシア語原文、英訳が公開されている。

●エリートと大衆(p205)
 オハイオ州立大学名誉教授のリチャード・ハミルトン“Restraining Myths: Critical Studies of U.S. Social Structure and Politcs” Halsted Press、1975年(『抑制する神話』、未邦訳)。大衆よりも、エリートのほうがプロパガンダに影響されやすいという事実を実証。
 1964年のトンキン湾事件を機に本格化した、米国のベトナム戦争介入。1968年には、反戦機運が高まった。
 〈ベトナム戦争強硬策支持率〉
  1964年……全体49% 上層ホワイトカラー55% 非熟練労働者・失業者38%
  1968年……全体37% 上層ホワイトカラー38% 非熟練労働者・失業者35%
 当初、大半の新聞や雑誌が軍事介入に積極的であった。1968年の時点では、介入批判が基調となっていた。メディアに操作されやすいのは、上流中流階級であり、大衆はほとんど影響を受けなかった。
〔 デモクラシーのモデルとされる米国でさえ、大多数の国民は政治に無関心であり、国民が積極的に政治に参加するという「理想」は実現不可能と言わざるを得ない。シュンペーターがいうように「デモクラシーが意味するのは、自分たちを支配しようとする者を受け入れるか、それとも拒否するか、国民に決めるチャンスがあることに尽きる」。〕(p211)

●毛沢東(p241)
 大東亜戦争で日本が戦ったのは、共産党ではなく、国民党政府。共産党が中国支配に成功したのは、国民党と戦った日本のおかげ?
 1964年7月10日、毛沢東は、日本社会党訪中代表団の佐々木更三の侵略謝罪発言に、以下のように返答した(『毛澤東思想万歳(下)』東京大学近代中国史研究会訳)。
 「何も申し訳なく思うことはありません。日本軍国主義は中国の大きな利益をもたらし、中国人民に権力を奪取させてくれました。みなさんの皇軍なしには、われわれが権力を奪取することは不可能だったのです。この点で、私とみなさんは、意見を異にしており、われわれ両者の間には矛盾がありますね。」

(2016/9/3)KG

〈この本の詳細〉
honto: http://honto.jp/netstore/pd-book_27888008.html
e-hon: http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000033461882


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