<また、あなたがたのために天に蓄えられている、朽ちず、汚れず、しぼまない財産を受け継ぐ者としてくださいました。 (4節)> 「神よ、守ってください。あなたを避けどころとするわたしを。主に申します『あなたはわたしの主、あなたのほかにわたしの幸はありません。』・・・主はわたしに与えられた分、わたしの杯。主はわたしの運命を支える方。測り縄は麗しい地を示し、わたしは輝かしい嗣業を受けました。(詩編16編)」 ここで詩編が「嗣業」というのは「遺産」という意味を持つ。親から子供に遺され、それは子供が受け継ぐものである。主を信じるあなたがたは、確実にこの遺産を受け継いでいるのだとぺトロはディアスポラの人々に告げる。それは手に取って、目で見ることは出来ないけれど、神が約束して下さった確実な財産なのだと。 信仰者が受け継ぐ財産は「朽ちず、汚れず、しぼまない」、すなわち腐らず、壊れず、全く敵の攻撃からも守られ壊されることがないと。外から来る敵だけでなく、心に巣食う罪からも守られるのだと。また、生きる力が萎えてしぼんでしまうこともないと説いた。 この世の財産は、この世においてしか価値のないものである。けれどもキリスト者はそのようなこの世の価値とは違う「天に蓄えられている財産」を受け継ぐと、ぺトロは説く。 「あなた方は地上に富を積んではならない。そこでは虫が食ったり、さび付いたりするし、また、盗人が忍び込んで盗み出したりする。富は、天に積みなさい。そこでは虫が食うことも、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。あなたの富のある所にあなたの心もあるのだ。(マタイ書6章)」 全く違う宗教を信じているKさんは、この個所から、善行を人に施すとその行いが天に覚えられ、自分が天に召された時、神の近くに座ることが出来るのだと信じている。それで彼女は理屈をすぐに並べる自分と違い、町内の様々なお役を引き受け、善行を施している。 詩編は、「わたしは輝かしい嗣業を神から受けました」とうたい、ぺトロは、朽ちず、汚れず、しぼまない神からの遺産を受けているのだと告げる。神がご自身の独り子を世に遣わされ、十字架にかけられ、三日目に復活された出来事こそ財産であると。 「私たちには、イエス・キリストの復活によって『生き生きとした希望』が与えられているのです。芽をだし、枝を伸ばし、花を咲かせる。生活に潤いをもたらす希望が与えられているのです。そして、私たちのために天に蓄えられている朽ちることのない財産を受け継ぐ者とされ、終わりの時に、完全な救いを受けるように今この世のどんな力よりも強い神の力に守られているのです。」と西橋牧師は結ばれる。 天に召されてから用いる財産ではない。今この時に、この瞬間に新しく生きる命が与えられ、新たにされ生きて行く「希望」をすでに受け取っているということだ。真面目なKさんにそのことを伝えなければいけないが、何しろ町内会長さんなので、上手くいかない。
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