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ヨハネによる福音書 8章12~20節

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<「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」(12節)> 「主イエスはご自分が『命の水』であることを明らかにされたのに続いて、今度は『世の光』であることを明らかにされます。罪の闇に覆われたこの世界全体を照らす『世の光』が、目に見える光を超える『命の光』が、今や差し込んできているのです。」と中家牧師は書き出される。 ファリサイ派の人々は、「自分で自分の証人になることは正しくないので、あなたの言うことは真実ではない」と言った。しかし、実際に自己宣伝をしていた偽善者は彼らの方だと中家牧師はマタイ書6章をあげられる。 「偽善者たちが人から褒められようと会堂や街角でするように、自分の前でラッパを吹きならしてはならない。・・・施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。・・・そうすれば、隠れたことを見ておられる父があなたに報いて下さる。」 主イエスはご自分の教えが真実であると主張された。神が誰であるかを民衆に理解させ、神がすべての人に新しい命を授けようとしていることを宣べ伝えるために、御子としてこの世に来たことを告げられた。 けれども、ファリサイ派の人々は主イエスの言葉の中身に耳を傾けず、その話を真実とする証人はどこにいるのかと主イエスに詰め寄った。主イエスは「あなたたちは、わたしもわたしの父も知らない。もし、わたしを知っていたら、わたしの父をも知るはずだ。」とお答えになった。 「イエスが神を父と呼ぶのは、神と特別な関係にあること、神の民に関しての権限を主張するためであった。この神のもとからイエスはきて、この神のもとへイエスは世を治めるために戻る。」と解説書は記している。 出エジプト記3章で、主の御名前を問うモーセに「わたしはある」と言われた。それは「わたしは、わたしがあろうとする者である。わたしは、わたしがなろうとする者になる」と神が何者にも縛られない、どこまでも自由なお方であることを表す名であった。 「しかし、その完全に自由の神が、人間となることによって、人間と同じ肉体を持ち、弱さや痛みも共にされた。それが主イエスである。主イエスは今、ご自分が『神と等しい者』であることを明らかにしておられるのです。」と中家牧師は説かれる。そして、 「わたしたちのために人となられた主イエス・キリストは、まさに天に属するお方であり、父なる神と共におられる真の神なのです。そういうお方を『神と等しい者』として信じないならば『自分の内に死ぬことになる』と断言されるのです。」と続けられる。 目の前の真実が見えない時は案外見ようとしていないかららしい。それを認めることによって自分の利益や知識がひっくり返されると思った時だと経験上知っている。


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