ヤマト2199もいよいよ最終章。
2週目のどこかで観ようと思ってたけど、
日曜のTV版観て、その続きで来る観客が増えそうだったので
30日(金)に京都で観賞!
っていうよりやっぱり待ち切れなかったのです。
楽しみで、楽しみで。
週末なのに20:10からの上映は観客もまばら。
20人足らずってとこか。(少なっ!)。
しかも同輩とおぼしきおっさん率ほぼ100%(笑)。
ま、このほうが集中して観れるしいいけどね。
あ
あ」
あ
あ
泣けた。
あ
とことん泣けた。
2199最後にやってくれた。
「作画崩壊」。。。。
あ
あ
第6章の後半からその予兆はあったけど、
最終章に至っては4話分ほぼ全編にわたって崩れきっている。
物語はよかった。
オリジナル要素を随所に盛り込みつつ
新たな解釈と展開で、うまくまとめていた。
古代と雪の成り行きも
ガミラス本星での戦いの盛り上がりに
うまく乗じて演出されていた。
よかったと思う。
イスカンダルとコスモ・リバースも、
古代守の絡みも悪くなかった。
それなのに、いい感じだったのに、
第7章は物語の大団円に向けて
人間ドラマによりフォーカスされているのだけれど、
その肝心な人物作画が酷い。。
前章後半のような絵が雑とかいう事じゃなく、
何ていうか、世界観が欠如している。
作画監督が不在のごとく、
カット・シーンごとにキャラのテイストがころころ変わる。
これもオリジナルへのオマージュなのか。(そんなことまで踏襲せんでいいだろ!)。
実写でいう演技指導がなされてないというか
役者が勝手な解釈でそれぞれに演技しちゃってる。
登場人物たちの笑う、怒る、泣く、吠える、
都度の喜怒哀楽の表情が、
絵コンテだけ見てあとはそれぞれのパート担当が
勝手に動きをつけたような違和感。
しかもその動きが
総じてあっさりと記号的なテレビアニメレベル。
印象に残る表情や動きが演出されていない。
あ
ここまでの2199にはそれがあった。
それがきちんとした世界観に繋がっていた。
そこに作り手の「愛」があった。
だからこそ、ちょっと軽いとか、
キャラがちゃらいとか言いながらも、
僕たちおっさんは、2199にここまでついてきた。
だから前章での雑な作画も
来る最終章での品質を優先した結果だと信じていた。
きっと最終章は持ち直してくれるだろうと。
きっと最終章では今まで以上に
僕たちの予想を超える世界観を魅せつけてくれるだろうと。。
どうしちゃんだよ。
なんでこうなるんだよ。
最終章では最後までその世界観が見えなかった。
「俺はそれが悲しい。そして悔しい。。」(BY 古代進 風)。
あ
おっさんなりの分別でちょっとクールダウンして考えてみた。
僕たち受け手の目が肥えたのか?
ここまでのクオリティの高さに感覚がインフレを起こしたのか?
いつの間にかハードルを上げちゃってたのか?
ここまでの2199を一人静かに思い起こしてみる。
あ
否!
あきらかに最終章は
客観的に、総体的に、絶対的に世界観が欠如している。
単なる週間テレビアニメ程度に成り下がっている。
動画部分も酷い。
印象的なタメやフリが一切ない。
原画と原画をつないだだけ。
説明的で味わいがまったくない。
肝心なキャラがぜんぜん活きてなかった。
オリジナルとは一線を画した
独自のストーリーと決着がよかっただけに、
人間ドラマの集大成であるべき最終章でのこの失態が
残念でならない。
あ
終わった。
終わっちまった。
あ
振り返ればこの1年あまり。
数十年ずっと胸にしまっていた初恋を
思い出させてくれたような2199。
あ
おっさんは楽しかった。
ほんとうに楽しかった。
あ
映画館を後にして、京阪三条に向かう鴨川には、
数十年前の僕と変わらない若者たちが、
更ける夜も気にせず川辺で楽しそうにしていた。
それをぼーっと眺めつつ、「もうあそこには戻れない」。
そんな当たり前のことを感じつつ、
「早く渡れよ」と点滅する青信号に背中を押されて、
僕は向こう側に足を進めた。