<裏表紙あらすじ>
“辺境の人”に置き忘れられた幼子。この子は村の若夫婦に引き取られ、長じて製鉄業で財を成した旧家赤朽葉家に望まれ輿入れし、赤朽葉家の“千里眼奥様”と呼ばれることになる。これが、わたしの祖母である赤朽葉万葉だ。――千里眼の祖母、漫画家の母、そして何者でもないわたし。旧家に生きる三代の女たち、そして彼女たちを取り巻く一族の姿を鮮やかに描き上げた稀代の雄編。
桜庭一樹の出世作といってよいと思います。
あとがきに「物語というものが持つ楽しさとダイナミズムのことを考えて、楽しく、挑戦的に書いた作品だった」と書かれている通り、物語の力を十分楽しめる作品です。
祖母、母、私、と三代にわたる女の物語であり、赤朽葉家の家の物語であり、製鉄の町の物語です。
この小説から受ける感触をどう表現すればよいでしょうか? 現実感がないのにリアルというか、地に足のついたほら話というか、くっきりとしているのにどことなくこの世界の話ではないような、うまく言えないのですが、そういった感じなのです。
おりおりに使われる色のイメージも豊かで、カラフルな絵巻物を見ているみたい。
この作品、第60回日本推理作家協会賞受賞作なのですが、選評を拝見するとどの選考委員も、これがミステリといえるか、という点に触れているのが目につきます。
狭義のミステリ、推理小説ではないとは思いますが、ミステリとして通用すると思います。
冒頭から出てきて、読者の注意をさらっていく“空飛ぶ男”をめぐる謎が、現代の「わたし」のパートで解き明かされる。伝説の時代を生きた祖母の代の謎が、伝説のなくなった現代、何者でもないわたしの時代に、するすると解かれる。この構図の美しさは、ミステリの枠組みを援用したからこそ、ではないでしょうか。
そしてそのことが、「ようやくたどりついたこの現代で、わたし、赤朽葉瞳子には語るべき新しい物語はなにもない。なにひとつ、ない」というわたしが、それでも前へ向けて進んでいくよすがになっていく。何者でもないわたしが、赤朽葉家の世界にマッチしていく、大きな流れに寄り添っていく、そういう大きな物語を織り上げていると感じました。
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