書堂春闊は日本国、日本国民の行く末を案じている。それよりももっと自分自身の行く末を案じている?! これは利己的であるという意味ではない。 我の景気が良くなることが日本の景気が良くなることにつながる。我が幸福になるということは、 日本国民も幸福になるということである。(ちょっと独善的かも)だから、邪魔する者たちの存在はウザウザウザ~イ、 書堂春闊、ついに本気モードに入ったか。ダッ、ダッ、ダッ! 「景気雇用などがよくなるのはけっこうだが、人の心の豊かさが社会を潤すのではないかな。 社会経済は外的要因で壊されることもある。いつどうなるものやら……わかったもんじゃない。 世の闇に、光を求め、光に従うのが一番だろう。この世に放り出された人間というものは「なぶりもの」になる宿命なのか。 荒涼たる自然になぶられ、人間同士なぶりあう。それは「魂」の成長を促すものであるにせよ、リスキーな世界に思えるのだよ。 ひとつ間違うと奈落の底に突き落とされる」 男の表情には、にがにがしい、苦痛にも見える訴えがあった。 「なんとかならんのか、しんどいぜよ」 「春闊さまは、巷では言霊使いの如く信じられておりますが、かなり過剰反応のようにもみえるんですけどこう言っては失礼でしょうか?」 「ムッフフフフフ、この私を言葉を重要視してくれるのは、ホント複雑な気分だよ。 およそ現代の混濁の人間に言霊を発動することは稀だと考えられる。自らの心正しくなければ、漂遊の霊の虜となり、餌食となり、 「コジツケ」が作用連動する。己自身の心霊が邪霊そのものの漂遊の霊に感応道交し、周囲に伝播してしまうのだ。 それが言霊というものだと決め付けている輩もいるだろうが、やっかいな話だ。 通常は、倫理道徳上の良心的言葉使いを心得えてコミュニケーションをはかるのが無難だろうし、 感情を押し殺した事務的言葉で武装してあたりさわりのないようにするのもひとつの智慧かもしれん。 おそらくは厳密には言霊は選ばれた者にしか発動しえないのだ。そのためたとえ言霊使いにならってその言葉を使っても心正しくなければ、 思わぬ方向へそれてしまうのである。ほとんど「コジツケ」を言霊と思い込んでしまい、世の中大いに混乱しているように見えるのだが、 私からすれば日本人なら常識的に知らなければならないことだと思っている。そうは思わんかね、名図美君」 この春闊という者は幼い頃より、俗世間に影響を与えていた類稀な者であった。 それは、敗戦後の権威なき日本に出現した神威分掌者の如くである。その本質は万能神的影響力にある。 あらゆる方面、分野から視線を受けているのだ。その割には周囲の人間は慎重に扱おうとしなかったのは、 日本の悲劇ともいえるものだった。守るべきものを守らずしては滅びの道に足を踏み入れることになる。理屈ではない。 【付記】 言霊とは「物象を左右させる力」であり、「その霊妙なる力が、人の運不運をコントロール」するものであり、 「言霊そのものが神霊」である。言葉とは、いうまでもなく会話や、意思伝達(言語・文字)に関わるもので、言霊とは、 これらに霊力・神秘力が伴うものであって、両者を混同して考えてはならない。 日本が、万葉集以来の「言霊の幸はう国」であっても日常の挨拶言葉や仕事上の会話、男女間の会話、 古今それぞれの権力者や政治家の問題発言、暴力者の威嚇言葉……、などまでを言霊の範疇に入れてしまうのは間違いで、 これらは最小必要な言葉であったり、各立場(分野・職場)の人間の教養や品性から放出される言葉でもあり、言霊以前の問題である。 「言霊」とは、本来悪に作用するものではなく、「善」に作用するものである。<某書より引用> 「春闊さまの含蓄のあるお言葉は、私自身、たいへんためになります。あの大戦で敗れたこの国の現状は悲惨としかいいようがありませんわ。 確かに平和を謳歌でき、暮らしも良いでしょうが、本来の正常な国体を為しているわけではありませんからね。 やはりどこか狂っているということでしょうか?」 名図美は、憂慮する眼差しになりこれからの日本の行方を気にした。 「そうだな、今の日本国民の大勢は私の側には無いと言ってもいいだろう。マスコミ・メディアの奴等が一癖もふた癖もあって、 まさに「群魔環視」のもとに制約されてしまっている。私が全幅の信頼をおく垂方礼芯はいわゆるサタンパワーを封じるためにだけ存在しているといってもいいだろう。 確かに彼は頭脳も優秀ではあるが、なぜか社会的には地位も名誉も金も縁遠い。それは、彼には特命があるからにほかならないのだ。だから彼は忙しくてしょうがないんだ。 私もいろいろ協力はしているがね。 この人界においては男性優位の社会であることは否めない。「男尊女卑」は偏見であり、男と女は「同心一体」というのが真理なのだ。 男と女は違うものである。人間とは、修理固成に貢献すべき存在でる。大妖魔は女性を活用することを得意としている。 もとより女性運用は仙人の特許、特権? ヤツラは男の運を持ってくることを女に期待しているんだろうな。 本来的に日本の女性は純潔意識が高く、素直で男に尽くすことをわきまえているのであるが、 気持ちは男に向かっていても、行動力に欠けるため、男の足を引っ張ってしまう場合が多いかもしれない。 まだこれは良い方で、近頃の女性は奔放、遊び上手、自立する者が増え社会的にも大いに活躍しているが、 所詮女は男の付属体とみなされているため、邪悪な連中により、神の如き男に対する道具として利用されるのがオチなんだよ。 君も内心そう思っているんじゃないのかね」 「そうかもしれませんね。なんでこうも女と男とでは違いがあるのかイヤになることがたびたびですわ。 でも私の師匠である春闊さまはス・テ・キ、カッコイイかも――」 名図美はその美しい瞳を輝かせ、書堂春紋という唯一無二の存在をあらためて認識した。 「確かに私ほどの異色の人間存在は見当たらない。この私によって今や、日本人の霊的区分が明確になりつつあるといっても過言ではないだろう。 端的にいえば、我輩の偉業を打ち消そうとする勢力が現存することを国民は認識することになる。 それはあたかも「闇」が「光」を打ち消そうとする習性と全く同質のものなのである。 「闇」によって消されない「光」であることは極めて重要であるが、なによりも自分自身のありかたに自信を持つことであると考える。 「光」はまた「光」を生み出していく。とにかく奴等につぶされないように努力は怠らないことなのだ。サタンはマスメディアを駆使して 、強固な包囲網を築き上げた。私のものは「知恵」でも「運」でもなんでも盗めばいいという発想ですべては、仕組まれているのである。 「暴力的発想」に支配される人間が急増するこの日本において、打開の道を見出そうとする者はいないというのか」 春闊は悲嘆にくれた。 が、自分自身を頼りにし、信じてついて来る人々を思うとなんとか期待に応えたいという気持ちにもなった。 が、春闊のいうことをきかないヤツラはオシオキや~。 「日本人とは名ばかりの「人面魔魂」の人獣(じんじゅう)がまさに魔臭を漂わせて活動している。 油断ならぬ世の中でありその餌食とならぬよう諸君はくれぐれも気をつけねばならん。例えば私のように仲間よりはぐれて 「罠のテリトリー」にみずから乗り込んで連中と共にするなって真似はやめた方がいい。 もとより私は自身の特殊な存在性のためにそうなったにすぎす、普通の人間なら頭がおかしくなったりして廃人になってしまう可能性が高いのだ。 虎穴に入らずんば虎子を得ずとはよくいったものだが、人生、楽そうに見えて楽じゃないんだよ。 とにかく世の中にはやっかいな連中がたむろしている。その代表的なのがサタンの郎党だ。 サタンの郎党は私のいうことをきく者をもっとも忌み嫌うという特徴を持っている。 これはヤツラが隠すにも隠し切れない大欠陥なのだ。そもそもヤツラは私を攻め立てることによって、 おいしいおまんま(ご飯・うどん・そば・パンなど食べ物))にありつけると信じているのだ。私ひとりでさえままならぬのに、 私の仲間が存在することは極めて恐怖なのである。だから人々はこれをよく認識し行動生活しなければならない。 原因がわかれば対処もたやすいし、仲間意識も強まっていくというものである。私自身、ひとりの戦いとなるとさすがに容易ではないので、 気心の知れた同い年の垂方礼芯君にも助っ人として登場してもらうことになったという次第だ。 もっとも私と垂方君は我々の「師」であるたんたん仙師の化身ともいうべきなのだが、師のことを語ることは許されていないので、 ここではその名前だけにとどめておくことにした」 春闊は、師の名前を口にするだけでおそれおおいことだと思っている。
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