『蔵』が面白かったので、本棚の未読コーナーから引っ張りだして読んでみました。『幕末史』で、篤姫と和宮は姑嫁の関係に当たり仲が悪かったとか、慶喜が嫌いだったとか、勝海舟が云々という話があったり、どうなんだろうという興味もあります。
NHKの大河ドラマの原作だったので、最近のものと思っていたのですが、以外にも1984年日経新聞の連載で、『朱夏』や『春燈』よりも早い時期の執筆です(『蔵』は1993年)。
幕末というと変革の時代ですから、龍馬や西郷隆盛、幕府側でも勝海舟、小栗忠順や川路聖謨と男の世界です。そんな時代に、宮尾登美子が「女性」を描くとどうなるのか?、です。
篤姫は、薩摩藩島津家の一門に生まれ、島津斉彬の養女として13代将軍家定の奥方(御台所)となり、幕末を江戸城の大奥でつぶさに眺めた女性です。篤姫を主人公とした「女たちの幕末・明治維新」です。
島津家が将軍の奥方を送り込むのですから、裏があります。斉彬、松平春嶽(福井藩主)、阿部正弘(老中)等が画策して篤姫を送り込み、家定の次は慶喜を将軍に就けるという計画です。
この家定というのがかなりの難物で、心身ともの障害者だったようです。障害をもった家定が多難な時代に何故将軍になったのかよくわかりません。父親の家慶でさえ慶喜を後継に考えていたようですが、老中阿部正弘が家定を14代将軍にしてしまいます。家定は、33歳の今日まで子供が生まれず、廻りでは家定の後継問題が起きています。
慶喜(一橋家、斉昭の実子):斉彬、松平慶永、徳川斉昭、阿部正弘
慶福(紀伊家、後の家茂):井伊直弼、譜代大名、大奥
この状況の中で、家定の奥方に篤姫を送り込み大奥に楔を打ち込むわけです。しかし、阿部正弘が急死、井伊直弼が大老となって、家定の後継14代将軍に慶福(家茂)を擁立します。慶喜が将軍となるのはこの後ですね。
という男の世界で、宮尾登美子は篤姫をどう動かすかです。篤姫は、斉彬によって江戸城に送り込まれた工作員です。定家の奥方になって、慶喜を次期将軍に就けるよう家定を説得する密命を受けています。
ところが、篤姫は徳川家に嫁し、淡い交わりですが定家と睦む間に、徳川家の人間としての自覚を持つに至ります。当時、女性は嫁してはその家に従うのがモラルでしたから、当然なのでしょうが、斉彬の密命はどうなった!です。
当時、将軍後継候補は、11歳の紀州藩主・慶福と水戸の斉昭の実子で一橋家を継いだ英明の噂高い慶喜。篤姫はこの二人を引見するわけですが、率直な慶福に比べ裏のありそうな慶喜にいい印象を持たず、斉彬に背いて慶喜後継の運動から手を引いてしまいます。家定の遺言も跡継ぎは慶福。
家定と斉彬が相次いで亡くなります。この時の篤姫の嘆息が、この小説の象徴かもしれません。
家定という人は女性と接することが出来ない虚弱体質で、篤姫とはプラトニックな夫婦関係だったようです。斉彬は、それを承知のうえ篤姫を送り込んだのだと、篤姫は気づくわけです。斉彬は、松平春嶽・伊達宗城・山内容堂・徳川斉昭・徳川慶勝とともに慶喜を将軍職に就けて日本の改造を目論み、自分はそのための駒だったことに篤姫は気づきます。
薩摩家の一門に生まれた篤姫は、藩主斉彬の養女、五摂家筆頭近衛家の養女を経て将軍の御台所まで上り詰めますが、この事自体が政争の具だったわけです。そのうえ夫は虚弱体質で夫婦の契りもなく、わずか1年9ヶ月で亡くなって未亡人。これが、幕末の大奥で権勢を振るった天璋院の真実の姿です。
この後、将軍職を慶福(家茂)は継ぎ「和宮降嫁」に至りますが、嫁姑の確執(家茂は家定の養子)、大奥が江戸方と京方に分かれての陰湿な泥仕合と面白くもありません。
家茂がわずか21歳で死に、慶喜が将軍となり、後は大政奉還から戊辰戦争へと徳川幕府は存亡の危機を迎えます。男がだらしなくなると俄然女が強くなりますね。篤姫が表舞台に登場するのは、ここからですね。嫁姑戦争の相手、和宮と手を握り、徳川家の存続と慶喜の助命を島津藩(西郷)、朝廷へ働きかけ、これを実現し、江戸城を去ります。
篤姫には実家・薩摩藩より引取りの話が来ますが、篤姫は昂然とこれを蹴っています。一度嫁に来たからにはというモラルと、自分を政治の駒に使った薩摩藩に対する恨みでしょうか。江戸城を去ってからも、薩摩からの経済的援助を断っています。徳川瓦解で京都に帰った和宮との違いは面白いです。
江戸時代の女性の話ですから、歴史の表に現れようはありません。せいぜい、斉彬の養女、家定の奥方という程度です。実在の女性ですから、むやみに活躍させるわけにもいかず、斉彬、家定、慶喜、和宮たちと、どう「私的」にからんだかということに想像の翼を広げ、話を面白くするしかありません。この女性の「悲喜こもごも」を楽しめるかどうかです。宮尾登美子の最初の歴史小説ですが、つまるところ、篤姫は、喜和や綾子、烈に他ならない、そう思います。