米軍に拘束の目取真俊(めどるましゅん)さんって?
実は「水滴」という小説で芥川賞を受賞している
芥川賞作家目取真俊(めどるましゅん)さんって
お方だそうですね、全然知らなかった^^:
今回のニュースですが
1日午前9時20分ごろ、
沖縄県名護市辺野古の辺野古崎付近の海上で
新基地建設に抗議していたカヌー隊で
「水滴」で芥川賞作家の目取真俊(めどるましゅん)さんが
米軍警備員に身柄を拘束されたそうです
詳しくはこちらで確認できます
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160401-00000014-okinawat-oki
ただ気になったのはこの目取真俊(めどるましゅん)さん
こんな事件があったので始めて目取真俊さんと言う
人物を知りました・・・
しかも芥川賞 第117回受賞の
芥川賞作家 目取真俊さんという
人物なのだと・・
ひとって意外なことを起こして
はじめて興味ない人にまで
興味を抱かせるものみたいですね
これでこの芥川賞作家 目取真俊さんが
芥川賞を受賞したとき以上に
有名になるという・・・
何か不思議なトレンドのメカニズムかな
こう私は思いました
ではこの芥川賞作家 目取真俊さんの
芥川賞受賞作ってどんな作品なのかを
引用も含めて調べました・・・
この目取真俊(めどるましゅん)さん
こんな事件があったので始めて目取真俊さんと言う
人物を知りました・・・
しかも芥川賞 第117回受賞の
芥川賞作家 目取真俊さんという
人物なのだと・・
ひとって意外なことを起こして
はじめて興味ない人にまで
興味を抱かせるものみたいですね
これでこの芥川賞作家 目取真俊さんが
芥川賞を受賞したとき以上に
有名になるという・・・
何か不思議なトレンドのメカニズムかな
こう私は思いました
ではこの芥川賞作家 目取真俊さんの
芥川賞受賞作ってどんな作品なのかを
引用も含めて調べました・・・
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160401-00000014-okinawat-oki.view-000
芥川賞 第117回受賞
水滴
目取真 俊 めどるま しゅん
本名=島袋正。沖縄県今帰仁村生まれ。琉球大学法文学部文学科卒。警備員、塾講師、高校教諭などを経て作家専業。
あらすじ
沖縄で暮す徳正がある朝目覚めると
、右膝から下が色・形ともに冬瓜(スブイ)の
ように大きく膨れ上がっていた。しかも、
親指の先が裂けて、不思議な水が
絶え間なく滴り落ちる。口もきけず
、体も動かせないが意識は
はっきりしていた徳正が見たものは、
夜な夜な自分の足から出るその水を飲みに来る、
日本兵の亡霊たちだった。その中に昔、
自分が見捨てた親友・石嶺の姿が・・・。
http://www.d3.dion.ne.jp/~y_mamiya/akutagawamokuji.htm
以下は感想の引用文です
人間誰しも、命の危険にさらされた
極限状態に陥ると、心の弱い面や醜い面が
現れるのは当然だと思う。
しかし、一旦その極限状態が去って、
通常の平和な生活が戻り、しばらくすると
「喉元過ぎれば・・・」で、
極限状態の時の自分の弱さ・醜さを忘れていく。
そればかりか、その時の自分をあれこれ理由を
つけて正当化していく人や、「仕方なかった」
ものとして忘れようとする人もいる。
この物語の主人公・徳正もまた、そんな1人だった。
昔、学友でもあり、沖縄戦で共に戦った
戦友でもあった石嶺が、腹への被弾で瀕死状態に
陥っていたのを見捨て、運良く生きのびた徳正。
動けぬ友を置き去りにしてしまった後悔と、
自己嫌悪でとにかく戦争中のことを
忘れようとしていた徳正だったが、
逆に戦争の思い出を、公演会という
機会を与えられたことにより、
きれいな物語を作り上げて巧みに
人に話すことで金を儲ける人生を歩んでしまう。
確かに最初は、決して金儲けの為に
公演を始めたことではなかったけど、
徳正自身、ウソ物語でも戦争のことを
話すことで、自分のどこまでも終わりのない
後悔の念を、少しでも和らげたいという
気持ちがあったのではないだろうか?
また、手榴弾で自決を遂げたという
宮城セツの話を村のうわさで聞いたときに、
大きな声で泣く代わりに酒の量を一気に
増やしてしまったのも、痛みを我慢する為に
もっと腕をつねって元の痛みを
感じさせないようにする行為かのようだ。
そんな自虐的な生き方しかできなかったのは、
素直に現実を受け入れられなかった
徳正自身の性格にも拠るし、
相反する矛盾した感情に拠るものでもあった。
毎晩現れる亡霊達は、そんな徳正が
抱える後ろめたさや苛立ち、
後悔が形作らせたものだったのかもしれない。
素直でない徳正が言いたかったことはただこの一言。
「イシミネよ、赦してとらせ・・・」(P43L15より)
もし、足が醜く脹れなかったら、
そして亡霊達の石嶺がじっと正面から
徳正を見つめなかったら・・・。
徳正は脹れた右足に表される
自分の醜さを見ようとせず、
そして石嶺の亡霊に表される
自分の後悔に、正面から立ち向かって
この一言を発することも出来なかったと思う。
足の親指から滴り落ちる不思議な水。
その水は、死んだ人を生かし、生きる人を死に近
づける水だった。
そんな相反する効力を持つ水は、
徳正が長い年月を経て深く、矛盾した心の
井戸に貯めこんでしまった水であり、
その水を放出することで、
変わり映えはしないが少なくとも新しい水、
つまり新しい自分を受け入れることが出来るだろう。
実際のところ何なのでしょう?
この物語は・・一種の怪談といって
いいのでしょうね
ここの文章がそれを語っています・・・
「戦友でもあった石嶺が、腹への被弾で瀕死状態に
陥っていたのを見捨て、運良く生きのびた徳正。
動けぬ友を置き去りにしてしまった後悔と、」
戦争で見捨ててしまった戦友の亡霊が
毎夜出てくるのはかなり怖いと言うより
主人公にはとても辛いことなのでしょうが
これを選考した委員の一人・・
石原慎太郎氏はこう言っています
「これは沖縄ならでは成り立たぬ
現代の寓話だろう。あるシーンでは
不思議な幻想性さえ感じさせるが、
寓話仕立ての部分がそれを相殺
してしまって作品の出来を損なってもいる。」
「それにしても不思議な印象の出来栄えである。
やはり戦争体験なるものは沖縄にとって
ただ遺産にとどまらず、今日もなお
財産として継承されているという、
沖縄の地方としての個性を明かした作品ともいえる。」
引用
http://homepage1.nifty.com/naokiaward/akutagawa/jugun/jugun117MS.htm
とまあこんな感じですこれで何にも知らない
私も少しだけ物知りになったのかな^^:
では・・・最後までお付き合い有難うございました。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160401-00000014-okinawat-oki.view-000
芥川賞 第117回受賞
水滴
目取真 俊 めどるま しゅん
本名=島袋正。沖縄県今帰仁村生まれ。琉球大学法文学部文学科卒。警備員、塾講師、高校教諭などを経て作家専業。
あらすじ
沖縄で暮す徳正がある朝目覚めると
、右膝から下が色・形ともに冬瓜(スブイ)の
ように大きく膨れ上がっていた。しかも、
親指の先が裂けて、不思議な水が
絶え間なく滴り落ちる。口もきけず
、体も動かせないが意識は
はっきりしていた徳正が見たものは、
夜な夜な自分の足から出るその水を飲みに来る、
日本兵の亡霊たちだった。その中に昔、
自分が見捨てた親友・石嶺の姿が・・・。
http://www.d3.dion.ne.jp/~y_mamiya/akutagawamokuji.htm
以下は感想の引用文です
人間誰しも、命の危険にさらされた
極限状態に陥ると、心の弱い面や醜い面が
現れるのは当然だと思う。
しかし、一旦その極限状態が去って、
通常の平和な生活が戻り、しばらくすると
「喉元過ぎれば・・・」で、
極限状態の時の自分の弱さ・醜さを忘れていく。
そればかりか、その時の自分をあれこれ理由を
つけて正当化していく人や、「仕方なかった」
ものとして忘れようとする人もいる。
この物語の主人公・徳正もまた、そんな1人だった。
昔、学友でもあり、沖縄戦で共に戦った
戦友でもあった石嶺が、腹への被弾で瀕死状態に
陥っていたのを見捨て、運良く生きのびた徳正。
動けぬ友を置き去りにしてしまった後悔と、
自己嫌悪でとにかく戦争中のことを
忘れようとしていた徳正だったが、
逆に戦争の思い出を、公演会という
機会を与えられたことにより、
きれいな物語を作り上げて巧みに
人に話すことで金を儲ける人生を歩んでしまう。
確かに最初は、決して金儲けの為に
公演を始めたことではなかったけど、
徳正自身、ウソ物語でも戦争のことを
話すことで、自分のどこまでも終わりのない
後悔の念を、少しでも和らげたいという
気持ちがあったのではないだろうか?
また、手榴弾で自決を遂げたという
宮城セツの話を村のうわさで聞いたときに、
大きな声で泣く代わりに酒の量を一気に
増やしてしまったのも、痛みを我慢する為に
もっと腕をつねって元の痛みを
感じさせないようにする行為かのようだ。
そんな自虐的な生き方しかできなかったのは、
素直に現実を受け入れられなかった
徳正自身の性格にも拠るし、
相反する矛盾した感情に拠るものでもあった。
毎晩現れる亡霊達は、そんな徳正が
抱える後ろめたさや苛立ち、
後悔が形作らせたものだったのかもしれない。
素直でない徳正が言いたかったことはただこの一言。
「イシミネよ、赦してとらせ・・・」(P43L15より)
もし、足が醜く脹れなかったら、
そして亡霊達の石嶺がじっと正面から
徳正を見つめなかったら・・・。
徳正は脹れた右足に表される
自分の醜さを見ようとせず、
そして石嶺の亡霊に表される
自分の後悔に、正面から立ち向かって
この一言を発することも出来なかったと思う。
足の親指から滴り落ちる不思議な水。
その水は、死んだ人を生かし、生きる人を死に近
づける水だった。
そんな相反する効力を持つ水は、
徳正が長い年月を経て深く、矛盾した心の
井戸に貯めこんでしまった水であり、
その水を放出することで、
変わり映えはしないが少なくとも新しい水、
つまり新しい自分を受け入れることが出来るだろう。
実際のところ何なのでしょう?
この物語は・・一種の怪談といって
いいのでしょうね
ここの文章がそれを語っています・・・
「戦友でもあった石嶺が、腹への被弾で瀕死状態に
陥っていたのを見捨て、運良く生きのびた徳正。
動けぬ友を置き去りにしてしまった後悔と、」
戦争で見捨ててしまった戦友の亡霊が
毎夜出てくるのはかなり怖いと言うより
主人公にはとても辛いことなのでしょうが
これを選考した委員の一人・・
石原慎太郎氏はこう言っています
「これは沖縄ならでは成り立たぬ
現代の寓話だろう。あるシーンでは
不思議な幻想性さえ感じさせるが、
寓話仕立ての部分がそれを相殺
してしまって作品の出来を損なってもいる。」
「それにしても不思議な印象の出来栄えである。
やはり戦争体験なるものは沖縄にとって
ただ遺産にとどまらず、今日もなお
財産として継承されているという、
沖縄の地方としての個性を明かした作品ともいえる。」
引用
http://homepage1.nifty.com/naokiaward/akutagawa/jugun/jugun117MS.htm
とまあこんな感じですこれで何にも知らない
私も少しだけ物知りになったのかな^^:
では・・・最後までお付き合い有難うございました。




