<その後、イエスご自身も、東から西まで、彼らを通して、永遠の救いに関する聖なる朽ちることのない福音を広められた。アーメン (19節)> エルサレムの町に入られる主イエスを、大群衆が「ホサナ、ホサナ」と喜び歌い歓迎したその後の1週間に、不当な逮捕、弟子たちの逃亡、屈辱と裁判、十字架の死があった。 主イエスの十字架を前に、つまずき、弟子たちは散らされてしまった。けれども、復活の主イエスのもとに再び集められ、その信仰が立て直され、教会が立てられてゆく。陰府の力も主イエスの権能に勝てず、主イエスによって開かれた天の門は誰もそれを閉じることはできなくなった。 「全世界に行って、全ての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。」と弟子たちに話した後、主イエスは天に上げられ、神の右の座に着かれた。一方弟子たちは、出かけて行って、至るところで宣教した。主は彼等と共に働き、彼らの語る言葉が真実であることを、それに伴う記しによってお示しになった。 今日の家庭集会は、90歳のUさんのお宅で開かれた。2年前から予約していた施設の空きが出たので、近々入所される。集まったものも若くはなく、老後について死について病について話し出せばきりがなかった。 聖書の箇所は、ヨハネ書12章。エルサレム入城を歓迎する群衆の話に続く「ギリシャ人、イエスに会いに来る」だった。主イエスが異邦人に話しかけられたのは、サマリアで一度だけ、それ以外はすべてユダヤ人に向って話されている。 祭りの時、面会を願い出たギリシャ人に、主イエスは「人の子が栄光を受ける時が来た。はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば多くの実を結ぶ。自分の命を愛する者はそれを失うが…」と弟子を通して話された。 だから、子どもたちが信仰を継がないと言って気にすることはない。私たちが日ごろ熱心に祈り願うことはいっぱいありますが、それらを生きている時に目にすることは出来ない事の方が多い。けれども、必ず主が約束を果たして下さると信じる事が出来るのです。それが私たちが持つ希望です。死んで土に還ることが大事なんですと牧師が励まされた。 その後、牧師は最近行かれたインドの話をして下さった。貧富の差の激しさは全く10年前と変わりなく、インフラの貧しさや物乞いの人が大勢いたことを話された後、でも不思議と安らぎを感じました。犬も豚も牛も繋がれることなく自由に行き交いしているんですと。 TVで聞いている経済発展とか、IT先進国の話とは違う。私たちが貧富と決めつける物差しは、お金の多寡だということに気付かされた。清潔ではないけれど魅力ある国だと思った。 日曜日はお近くの教会で礼拝を http://komatsu.church/index2.htmlどなたでもどうぞお越しください。お待ちしています。
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