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もうじやのたわむれ 314

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 発羅津玄喜氏がおせっかいの決意表明をするのでありました。  我々は船の左舷からプールサイドを通って船尾に行ったのでありましたが、今度は船尾から船首に向かって右舷のデッキを歩いてみるのでありました。前と横は見晴るかす限りの、ただ空の蒼のみを映した波嫋やかなる海面、いや川面であります。  川でありますから流れと云うものがあろうかと思うのでありますが、これだけ川幅が広いと、その流れも殆ど見取る事が出来ないのでありました。この静まり返った水面は確かに、拙生が娑婆の生まれ故郷で見慣れているところの、海のものではないのでありました。  波立つ海の動的な光景とは異質の、視界に動揺のない、あくまで扁平な水面に視線を馳せていると、これはこれで充分に味わい深い光景なのでありますが、何となく拙生は落ち着かなさを感じるのでありました。見えない水面下で陰鬱で凶暴な気が凝り固まっていて、それを全く無表情な風を装って隠蔽しているような、そんな邪悪な気配みたいなものを感じて仕舞うのであります。ま、これは拙生のイメージのちょっとした暴走で、単にこう云う大河の水面を見慣れていないがための違和感、と云えばそれまででありましょうかな。  船の中程に、階下に降りるエスカレーターがあるのでありました。壁に、メインロビー、と云う文字と、斜め下を差す矢印の書いてあるプレートが嵌っているのでありました。 「船の中も、ちょっと歩き回ってみましょうか」  拙生は護衛の二鬼に提案するのでありました。  エスカレーターはかなり長いものでありました。娑婆の地下鉄千代田線の、新お茶の水駅の改札口に降りるエスカレーターと、同じくらいの長さがあるのでありました。  メインロビーは天井の高い、まるで娑婆のデパートの食堂街のような風でありました。広さは閻魔庁の宿泊施設の、噴水のあるロビーよりは小さいのでありましたが、しかし劇場やら映画館やら、演芸場やら芝居小屋やら、テレビルームやらゲームルームやら、エステサロンやらネイルサロンやら、読書室やら仮眠室やら、和洋中華にその他の様々な料理屋やらレストランやら、それから洋風のバーやら和風の一杯飲み屋やらの、夫々意匠を凝らした入り口がぐるりとロビーを取り囲んでいて、なかなかに華やかな風情であります。  ロビー中央には小さなステージが設えられていて、そこでは軽音楽とかジャズとか、或いはクラシックの室内楽なんかのミニコンサート、若しくは亡者対抗喉自慢大会とかが行われるのでありましょうか。乗船した亡者が船旅中に退屈しないように、色々工夫されているようであります。前の乗船時には、拙生は今次最初に一亡者三鬼が落ち着いた上のデッキの客室で、他に見知っている顔もなかったから、ずうっと一亡者でぼんやりしていたのでありましたが、こう云う施設が階下にあると判っていたなら、大いに利用すべきだったと今頃後悔するのでありました。こうなったら娑婆に逆戻って、その後で再びこちらの世に来る時には、この船の中の様々な施設を片っ端から大いに利用したいものであります。 「そこの店にでも入って、少し休んでいきましょうか?」  逸茂厳記氏がすぐ傍の喫茶店を指差しながら拙生に云うのでありました。 「帰り船で亡者の客が乗っていないのですから、営業していますかなあ」 「ちょっと、訊いてきましょう」 (続)

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