ジブリ最新作「風立ちぬ」が賛否両論になってます。
宮崎駿監督自らが試写で
「自分の作品で初めて泣いた」という前宣に乗せられ、
私も昨夜、平日シネマで鑑賞しました。
ジブリっぽい垂直なカタルシスはないけれど、
じわーっと沁みるようによかったです。
「宮崎監督の遺言」という前評判もありましたが、
まさに宮崎さんがやりたいことをやりたいようにやった作品ぽいです。
だからいつものエンタメ演出もなく
展開に起伏はありません。
いつものジブリっぽい安定感もありません。
まさに大人な余白の多い作品だからこそ
いろんなレビューでも賛否両論なのだと思います。
あ
是非は個人の感想なので多々あってよいのだと思いますが、
ちょっとレビューでも話題になっているのが
作中でこれでもかと出てくる喫煙シーン。
その中でも主人公の二郎が
結核を患う妻の菜穂子の前で喫煙をするシーンがあるのですが、
これに対して多くの人が脊髄反射で嫌悪されています。
そして主人公の妻への気遣いの無さを非難されています。
それをもってこの作品自体を否定する人もいます。
あ
でも、そうかな?
確かに喫煙に対する意識は
私たち昭和世代と平成生まれの人では隔絶の差があります。
当時の時代背景としてこのシーンを肯定する人も多くいます。
でもそういうことでもないと私は思います。
あ
ネタバレになるので詳細は避けますが、
菜穂子はある決意と覚悟の上で、次郎のもとに戻り、
次郎もすべてわかったうえでそれを受け入れてます。
もう二人の突き抜けた結論の末、
できるだけいっしょに居るのです。
喫煙シーンの前に
次郎は菜穂子からせがまれて
菜穂子の手をずっと握ったまま傍らで仕事を続けます。
これだってギリギリの二郎の仕事の邪魔になるので
菜穂子のわがままともいえます。
でももうこの二人はそんなわかりやすい合理な
「おもいやり」や「やさしさ」など超越していたのです。
「今、二人でいること」の刹那な濃度を高めようとした結果の
自然な振る舞いがすべてのように私には見えました。
あ
結核の妻の前で喫煙など妻の体に良いわけがない。
妻が大事ならその場で喫煙などするべきでない。
たしかに合理的に100%正論です。
でも、そうしなかった次郎の気持ちを
あれこれ推してみるといろんな思いに行き当たるはずです。
その時にじわーっと何かが心に沁みるのです。
あ
今回は鈴木プロデューサーも
「宮崎監督の遺言」として宮崎さんの好きなように作らせたのかなと思います。
だから「風立ちぬ」はいつものジブリらしからぬ、不安定で、偏狭で、言葉足らずな作品なのです。
合理で考えたらこの作品は不合理に満ちてます。
だからこそ鑑賞する側も、すべてを一旦受けとめ、
自身のイマジネーションでじっくりであれこれ転がしてみる。
すると一見不合理なことの中になにかを見つけることができるはずです。
それが作品の是非は別にしても
この映画を楽しむコツのような気がします。