<イスラエルの神よ、あなたの僕、わたしの父ダビデになさった約束が、今後も確かに実現されますように。(26節)> 王ソロモンは、全会衆に「…主が約束なさったとおり、わたしは父ダビデに代わって立ち、イスラエルの王座につき、イスラエルの神、主の御名のためにこの神殿を建てた。またわたしは、そこに主との契約を納めた箱のために場所を設けた。その契約は、主がわたしたちの先祖をエジプトの地から導き出された時に、彼らと結ばれたものである。」と言った。 そして王ソロモンは、全会衆の前で、主の祭壇の前に立ち、両手を天に伸ばして祈った。荘厳で華麗、今まで目にしたこともない豪華な神殿、その神殿に高く手を上げ王ソロモンは祈る。その姿の美しさ、その衣装の豪華さきらびやかさは全会衆の心を奪った。 「心を尽くして御前を歩む僕たち」に契約の成就が約束される。ソロモンは全会衆の代表として祈りをささげる。紀元前1290年から始まる荒れ野の40年の放浪の中で、民と結ばれた契約が300年の時を得て、今ここに現されたと祈った。 「だから、この日イスラエルは、父祖の伝承を振り返りながら同時に今後も同じ約束が守られ続けることを確信して祈るのです。『約束が、今後も確かに実現されますように』いつの時も、夕に朝に常なる『今』を感謝して祈る。それが、とこしえに生きる永遠者を、『慈しみ注がれる神』として知る僕たちの姿なのです。」と大石牧師は説かれる。 小さいころ、お正月は神社に詣で、柏手を打ち家内安全などを願い、お賽銭を投げた。願いを叶えて下さる方が、奥に祀られているからだと教えられていた。イスラエルの神殿はそれとどこが違うのだろうか。ソロモンの祈りは続く。 「神は果たして地上にお住まいになるのでしょうか。天の天もあなたをお納めすることが出来ません。わたしが建てたこの神殿など、なおふさわしくありません。…」と。 「神は天に住んでおられるという表現は、神がどんな制限下にもないことを意味する場合のみ有効なのです。ただ『聖所にわたしの名をとどめる』との神の約束も真実です。…『叫びと祈り』をささげる場所が人間に必要なことをご存じの神が、その声を聞くために聖所建設を許して下さいました。」と大石牧師は説かれる。 そして「移動式の幕屋から動かぬ丘の神殿に祈りの座が移され、祈るべき方向が定められると、かえって御心の自由な広がりを覚えます。神は建物に住むのではなく、夜も昼も主のまします所へ向かう心に寄り添い『讃美に住まう』方なのです。」と続けられる。 クリスチャンは聖日なれば雪降るなかも会堂に集う。家での祈りであっても主は聞いて下さるのに、それでも会堂に集い祈る。会堂にこだわらないけれど、会堂で祈りたいと思う。 日曜日はお近くの教会で礼拝を http://komatsu.church/index2.htmlどなたでもどうぞお越しください。お待ちしています。
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