この是路総士と花司馬筆頭教士の会話の中には、故意に威治教士の存在には触れないようにしている面があると万太郎は気づくのでありました。花司馬筆頭教士が懸命に興堂派の存続に尽力しようとしても、威治教士の存在が何かにつけて障害となっているのではないかとは、万太郎にも容易に推察出来るのでありましたし、是路総士にしても気色には表わさないとしても、その点に関して大いに懸念を抱いているでありましょうし。 しかしまあ二人共、この場に居ない者をここで論うのは潔くないと憚って、態と口の端にその人の名前を上せないと云う事なのでありましょうか。その威治教士その人はこの後の成り行きを、一体どのように導こうと目論んでいるのでありましょうや。 「何やら繰り言ばかりを述べて、申しわけありません」 花司馬筆頭教士が是路総士に頭を下げるのでありました。 「いやいや、何かと思い余る事もありましょうからな」 「また近い内に、あれこれご相談方々、稽古をつけていただきに上がります」 「何時でもいらっしゃい。歓迎いたしますよ」 「有難うございます。総士先生のお言葉に遠慮もなく甘えさせていただきます」 花司馬筆頭教士はそう云ってまたも深いお辞儀をして帰って行くのでありました。万太郎は来間と一緒に、家の門まで見送りに出るのでありました。 考えてみれば興堂派の稽古がある日だと云うのに、その筆頭教士がこんなに長い時間道場を留守にするのは如何にも訝しい事だと、万太郎は花司馬筆頭教士が仙川駅の方に去っていく後ろ姿を眺めながら考えるのでありました。興堂範士亡き後でありますから、花司馬筆頭教士は興堂派本部や支部の稽古に忙殺されていて然るべきではありませんか。 これは何やら花司馬筆頭教士の身の上に、余程不利益な事が起こっているのではないでありましょうや。万太郎がそんな事を心配しながら暫く門前にぼんやり佇んでいると、出張指導から帰って来るあゆみの姿が道路の前方に認められるのでありました。 「万ちゃんどうしたの、こんなところに立って?」 あゆみは片手を上げて万太郎に笑みを送りながら近づくのでありました。 「興堂派の花司馬先生がお見えになって、今帰られたのでそのお見送りです」 「花司馬先生がいらしていたの?」 あゆみは後ろをふり返るのでありましたが、もうその時には花司馬筆頭教士の姿は視界の中から消えて仕舞っているのでありました。 「専門稽古と一般門下生稽古に参加されました」 「へえ、そう。稽古にいらしたの?」 あゆみは顔を万太郎の方に戻して云うのでありました。 「ま、そうですね。道の何処かですれ違いませんでしたか?」 「ううん。あたしちょっと商店街の方で買い物をしていたから」 あゆみは片手に持ったスーパーの紙袋を万太郎に掲げて見せるのでありました。 「ああ、僕が持ちます」 万太郎は姉弟子の方に向かって両手を差し出すのでありました。 (続)
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